【書評】オードリー・タン氏/『デジタルとAIの未来を語る』/オードリー・タン・著/プレジデント社/1800円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
山下達郎ばりの長髪をなびかせ、自由に思考する三十九歳のトランスジェンダー、台湾の閣僚(IT担当の政務委員)オードリー・タンの存在は、「二〇二〇年の日本」の、相も変わらぬ混迷を逆照射した。
翼賛体制に、コロッと馴染んでしまう日本人は戦前とちっとも変っていない。「死者42万人」という専門家による恫喝手法と、官製情報の前提のいい加減さを疑いもしないでニュースとしてバラまいたメディアの無責任は、「昭和史」の悪夢がまったく学習されていない、悲しい証拠となった。「戦後七十五年」は無駄な時間だったのだろうか。
ほとんど何の役にも立たず、国家の予算を無駄遣いした「アベノマスク」は、官邸主導の利益誘導と役人たちの唯我独尊を明らかにした。その時、対比されるのが、台湾のコロナ対策だった。いかに早く、安く、平等にマスクをみんなに届けるかに、デジタルのテクノロジーと官民共同の知恵が融合された。その発想と仕組みを構想したのが、「性別」なしの「山下達郎」だった。
『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』は、中学中退、十九歳にしてシリコンバレーで起業し、三十三歳でビジネスから退き、「公」のための生き方を選択した半生が語られている。日本なら「落ちこぼれ」で片づけられたかもしれない少年が、「保守的なアナーキスト」として、次々と進路を切り開いていく。
中国といかに対峙するかが重要なテーマだった二〇一四年の「ひまわり学生運動」でオードリー・タンが果たした役割は、占拠した国会内の映像をライブ配信するという「情報公開」の実践だった。閣僚を引き受ける条件も、「会議、メディア、納税者とのやりとりはすべて録画録音して公開する」だった。日本で実施すれば政治家志望者は激減必至だ。
日本との関わりでは、柄谷行人の唱える「交換モデルX」をデジタルで実現しようとしていることが挙げられる。不特定多数の人と見返りを求めずに助け合う。希望ある未来社会を指し示す語り手である。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号