【書評】『感染症の日本史』/磯田道史・著/文春新書/800円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
感染症、とりわけその世界的流行であるパンデミックの対策には医学やウイルス学だけでなく、経済学、社会学、心理学や歴史学を含んだ検証が必要となる。磯田氏は有史以前からスペイン風邪のパンデミックに至るまで、さまざまな感染症の史実を検証した。
百年前におきたスペイン風邪は全世界で五千万人以上の人が命を落とした。スペイン風邪は日本に三回やってきた。第一波は大正七(一九一八)年五月から、第二波は同年十月から翌年五月までで二十六・六万人の死亡者、第三波(後流行)は大正八年十一月から翌年五月までの六ケ月で死者は一八・三万人。
大正時代を代表する平民宰相原敬は大正七年秋にスペイン風邪第二波のパンデミックに巻きこまれた。北里研究所主催のパーティーに出席した翌日、病に倒れた。原が率る政友会政権をバックアップしていた元老の山県有朋(八十歳)もスペイン風邪で重態となった。つぎつぎと閣僚や政府関係者が罹患していった。
大正天皇が体調不良で葉山の御用邸へ移り、昭和天皇(当時は皇太子)も感染し、秩父宮もかかった。厳重に警戒してもインフルエンザウイルスは相手を選ばない。
磯田氏は『原敬日記』『大正天皇実録』『昭和天皇実録』、四竈孝輔『侍従武官日記』といった日記、実録をもとに検証していく。昭和天皇と原敬はともに第二波の罹患で、秩父宮は第三波のより強毒化されたウイルスに襲われ、『雍仁親王実紀』には近衛師団の罹病者千百三十七名、死亡者二十九名と記録された。
磯田史学は伊勢祭祀の原点に病疫があり、天然痘の大流行が奈良の大仏を作った話、滝沢馬琴が随筆に書き残したパンデミック、など、え?と驚く話がヅラヅラと出てくる。志賀直哉のインフルエンザ小説、歌人で医師であった斎藤茂吉がスペイン風邪にかかって、息子へ短歌を送った。この一冊は「歴史のワクチン」として読者を覚醒させる。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号