【書評】『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ!』/森岡正博・著/筑摩選書/1800円+税
【評者】香山リカ(精神科医)
日本の自殺者が急増している。近年はずっと減少傾向にあったのだが、今年7月以降、増加に転じて止まらないのだ。誰もが考えるのが、新型コロナの長期化による経済的困窮の影響だ。もちろんそれもあるだろう。
しかし、精神科の診察室では別の要因を感じている。「私の人生に意味はあるのだろうか」「私はなんのために生きているのだろうか」という本質的な悩みにとりつかれ、「生きていても仕方ない」「消えたい」と口走る人が多くなっている印象なのだ。
その背景はひとことでは説明できないが、コロナで外出の機会が減り、趣味や気晴らしができなくなって、自分と向き合わざるをえない時間が増えたからかもしれない。もっと言えば、いざ「私の人生とは」と真剣に考えて、すぐに意味や価値を見出せる人などもともとそう多くなかったのではないか。
その中で、哲学のひとつの潮流である反出生主義がじわじわとブームになりつつある。これは狭義には「人生の苦痛を与えないために、子どもを作らない」という考え方だが、そこからさらに発展して「私自身生まれなければよかった」「人類は早く絶滅した方がよい」とまで主張する人もいる。
哲学者・森岡正博氏がこれらを整理して解説した『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)によれば、この発想は古代ギリシアやブッダの時代から脈々と続いているとのことだが、コロナの時代の反出生主義は中でも「わたしの消滅」に焦点を置いている。
この傾向を否定的にばかりとらえてはいけない。この人たちはお金や出世がすべてという、世界に広がっている経済至上主義の空虚さに気づいたともいえるからだ。コロナが蔓延する中で、健康や命、家族との絆の大切さに改めて気づいた人たちともつながる。
とはいえ、「私の人生には価値がない」と結論づけるのは早急すぎる。森岡氏は本書で「生まれてきて本当によかった」と思える生命肯定の哲学の提唱を呼びかける。来年はそれに応える年にしたい。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号