【書評】『最高裁に告ぐ』/岡口基一・著/岩波書店/1700円+税
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
最高裁判所の「劣化」が明らかになるとともに、「裁判官が、裁判所当局による統制からも自由」であろうとする胎動がおきたのが2020年であった。三権分立の理念を掲げながら、日本の裁判所は、政治に弱い体質があった。最高裁判事の人事権は内閣が握っているうえ、予算も政府与党が最終承認する構造にあるからだ。
憲法によって裁判官の独立は保障されているものの、統治機構の一部として政権の意向を汲み、「行政を追認するだけの裁判官」でなければ生き残りがはかれない。国の方針や政策に逆らった判決を書けば、「好ましくない裁判官」として出世の芽が摘まれるだけでなく、裁判所に居づらくなる圧力が陰に陽に加えられていたのである。
象徴的な例が原発訴訟だろう。良心に従って国を負けさせる裁判長は、定年間際の人で、将来性のある裁判長は「目をつぶって」国を勝たせてきたと言われるほど、その傾向は顕著だった。
ところが今年の9月と12月、仙台高裁と東京地裁での原発訴訟で、国を負けさせる判決が相次いだ。いずれの裁判長も、まだまだ裁判所内で名誉ある地位を得られるポジションにある。彼らが、「司法的判断者としての公正・中立」な訴訟指揮のもと、「少数者保護」という司法の役割を示した影響は少なくない。
契機のひとつが、ブリーフ裁判官として知られる岡口基一判事による情報発信だった。岡口判事は、プライベートでおこなっていたツイッターを止めなければ「裁判官をクビにする」と脅されながら、「自らの表現の自由を制限」することはできないと拒否。裁判官の処分を決める分限裁判にかけられ、懲戒処分を受けたが、そのプロセスを公表し、最高裁が「お上主権」で、はだかの「王様」化している実態を明らかにした。
少なからぬ裁判官を目覚めさせたことで、「国民の権利自由を国家権力による不当な侵害から守るのが司法の本質・役割であるという認識」が広まるはずだ。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号