【書評】『攘夷の幕末史』/町田明広・著/講談社現代新書/720円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
2020年のコロナ禍は既成の常識や思い込みを随分と変えてしまった。歴史学でも尊王攘夷を討幕派、公武合体を佐幕派と考えがちな傾向に疑義が出された。著者は、幕末の文久年間(一八六一~六四)でいえば、日本人は例外なく尊皇であり、攘夷だったという見方を出している。
通商条約を締結した井伊直弼は、攘夷を放棄した開国派と見られがちだが誤りである。むしろ井伊も長州藩も攘夷で変わるところはない。違いは、大攘夷か小攘夷かという点だけである。大攘夷とは異国と本格的に戦うにはまず国力をつけて充分な武備をそろえることが必要であり、小攘夷とは彼我の力量の差を顧みず実力行使に訴え外国人殺傷も是とする立場であった。
著者はペリーが来る五十年前から日本に脅威を与えた外国としてロシアを挙げるが、これはまことに正しい。ロシアは東アジアの一員でもあったという指摘は慧眼である。鎖国日本は、二百五十年ほど一国平和主義で農工業も発展し繁栄を謳歌した反面、戦うべき武士集団が軍事能力を喪失するという世界史でも稀有の現象が起きていた。
攘夷のさきがけとなる思想家はロシアの脅威を直感した東北から生まれた。工藤平助や林子平は仙台・伊達家に縁のある人物だった。公儀と呼ばれた幕府は子平などを登用せず人材抜擢をしなかった。代わりに松平定信など幕府の門閥政治家は、朝廷の協力を取り付けて、幕府があたかも朝廷から大政委任を受けて政治をとっているかのように振舞った。
これが尊皇を攘夷と結びつける間違いのもとになった。日本人は小さな外国船を追い返し、上陸した船員を殺す匹夫の勇を見せたが、幕府は鎖国政策を見直す戦略的思考を生み出せなかった。著者は幕府関係者が攘夷を果たせなかった限界に同情的だ。とくに辣腕の外国奉行の岩瀬忠震への評価は高い。米国のハリス総領事からも恐れられた岩瀬こそ究極の「攘夷派」だったのかもしれない。
コロナ禍の本年をしめくくるにふさわしい好著である。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号