成績を落としてトレード要員になった選手や、球団を自由契約になった選手には、そのままプロ野球の世界からフェードアウトしていく選手が少なくない。だが、故・野村克也さんは、その独特な助言や指導によって再度活躍の機会を与え、選手を再び活躍させてきた。「野村再生工場」と呼ばれるその手腕によって再びの活躍をした選手の一人だった山崎武司氏が、初めて野球を楽しいと思わせてくれた野村監督の言葉について語った。
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楽天でホームランを量産できたのは、この言葉をかけられたからなんです。
僕は追い込まれると三振したくなくて思い切ったバッティングができなかったのですが、野村監督から「三振、大いに結構。なぜ三振したかが大切。三振もいい当たりも同じアウト。根拠さえあれば思い切って振ればいい。何も考えずに三振してくるのはアカン」と言われた。三振しても次に活かせばいいと考えられるようになり、三振が恐くなくなった。
実のところ、僕は子供の頃から「野球をやらされている」と思っていたので楽しくはなかった。大嫌いだった。現役を27年間やりましたが、野球が楽しいと思ったのは野村監督との4年間だけです。
“野村再生工場”の中でも一番ハマったという自負はありますね。ヤクルトでの小早川(毅彦)さんなどもいますが、僕こそが一番の傑作だと思っています。タイトルも取っていますしね。だから野村再生工場の長男を自称しているんです。
もし若い頃からヤクルトの野村監督の下でやっていれば、500本塁打、2000本安打を達成できたんじゃないかと言われるんですが、20代で野村監督と出会っていたら喧嘩していたと思います(苦笑)。歳を重ねて丸くなった野村監督だからうまくいった。
僕にとって野村監督はオヤジです。野球以外でもかわいがってもらっていた。ずっとオヤジだと思って引退後も付き合っていました。
【プロフィール】
山崎武司(やまさき・たけし)/1968年生まれ。1986年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団しプロ入り。2003年はオリックスへ、さらに2005年に楽天へ移籍。野村監督2年目の2007年には43本塁打、108打点で二冠王に。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号