【書評】『持続可能な魂の利用』/松田青子・著/中央公論新社/1500円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
「2020年があきらかにしたもの」、それは文字文化の本来の意味でのユビキタス性と、つきつめれば、人間のリアルさの曖昧性ではないか。
コロナ禍において、芸術文化は大きなダメージを被った。そのなかで、文字媒体は比較的“強い”面があり、その遍在性をむしろ強調することになった。それは文字がそもそも保存文化でもあり、コピー文化でもあるからだ。人びとはこの疫禍でも、相変わらず、あるいは一層スマホやパソコンの画面を覗きこみ、ニュースやSNSを熱心に読んだし、オンライン書店でより多くの本を買いこんだ。目を疲れさせる人も多く、眼鏡業界は好調らしい。
一方、音楽演奏や演劇といった舞台(瞬間)芸術は、ヴァーチャル技術を使った「発信」を余儀なくされた。多くのオンラインシアターが現れ、演奏者や俳優たちはリモート形式のオーディションなども経験しているだろう。
オンラインを活動の場とするのは、世界中を飛び回る国際作家や詩人たちも同様で、あらゆる講演、対談、文学賞の授賞式などがリモート媒体に移行した。このおかげで、朝、アメリカの「全米図書賞授賞式」で受賞スピーチをしていた柳美里さんが、夕方には南相馬からラジオに生出演する声を聴くことにもなった。
人びとの存在が電子空間に溶けこむなか、人工知能や人体改造といった「トランスヒューマニズム」が進歩を続けている。今年話題の松田青子『持続可能な魂の利用』は、「おじさん」たちの形成する社会から「女の子」たちが消えて透明になり、魂だけの存在として生き延びるという強烈な風刺力をもつ物語だ。
「魂」とは人間の意識、脳に記録されたデータであり、それを「保存」することで不死が得られるという考えは、フランス発のディストピア小説『透明性』(マルク・デュガン/中島さおり訳)にも表れている。
わたしたちのリアルな個体としての存在はますます多義的になり、その「実体」は透明になっていくだろう。Invisible(見えない)が来年のキーワードになると思う。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号