インターネットは自由な空間……だったはず。しかし、ネットの普及によって監視体制ができあがり、不自由になったのではないか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、ネットによってつくられる「空気」の窮屈さについて論じる。
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ネット普及により日本のムラ社会化はますます進んだ。江戸時代の「村八分」や「五人組」のような陰湿な監視体制が完成し、「空気に支配される社会」の成熟度合いが増していったのである。
一つは不倫だ。なぜ渡辺謙の不倫はそこまで叩かれず、それ以上に矢口真里→東出昌大→ベッキー→渡部建という順番で苛烈に叩かれたのか。ベッキーと東出の順番に異論はあるかもしれないが、ベッキーの場合は「文春砲」の初期だったことと意外過ぎたということもあり、私の観測ではこの順番である。
ネットニュースでは「東出と渡部はどちらがゲスか」といった記事が登場し、これに対しコメント欄で一方向の論調となっていく。このケースでは渡部である。SNSでは、フォローしている人による似たような意見を見るため、自分の感覚が正しい、という確信を得て自らも「渡部のほうがゲス」という発言をするようになり、「空気」が作られていく。
その空気を事務所が読むことにより、活動再開までの期間が変わっていく。ベッキーと矢口真里はネット番組やラジオでの復活はあったものの「ナショナルクライアント」と呼ばれる大企業のCMへの本格出演には至っていない。矢口は約3年の時を経て日清食品のCMに登場したが、世論の反発を受けてお蔵入りに。
渡辺謙は決定的な活動自粛はなく、不倫芸能人には御法度のCM出演も「ハズキルーペ」で獲得。これは同社の松村謙三会長が広告業界と世間の空気を読まなかったからこそ達成できたことだろう。
星野源の『うちで踊ろう』に乗っかって貴族のようにくつろぐ時間の動画を公開した安倍晋三前首相、「ガースーです」の挨拶で滑った菅義偉首相──いずれも「ネットでコレが人気です!」と判断した結果である。
ネットがない頃は石油ショック時のトイレットペーパー買い占め騒動や、健康番組で「やせる」と紹介された食材(納豆、ココア、寒天ほか)がスーパーの棚から消えるといったことはあったものの、思想・主張にまではあまり踏み込まれなかったのでは。