連邦議事堂へのトランプ支持者の乱入事件で、アメリカ政界の「トランプ離れ」は急速に進んでいる。しかし、それで国と国民の分断が解決する見込みは薄い。ニューヨーク在住ジャーナリスト・佐藤則男氏が、現地にいればこそ見えるアメリカ人の憂鬱をリポートする。
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アメリカに永住して46年経った。今回の一連の事件、つまり極右勢力による議事堂襲撃という最悪の事態に対し、日本をはじめ諸外国ではアメリカが危機に瀕したと報じられている。しかし、筆者はそうは思わない。世界の多くの国が似たような危機を経験したが、たいていの国は再び立ち上がり、より豊かな、より良い国を国民が作ってきたと信じている。国は大統領や議会が作るのではなく、国民が作るものである。犯罪や民主主義を脅かすような間違った行動に出る大統領や議員を排除する権利を国民は持っている。
今日のアメリカの課題は、そのような大統領や議員の行動・信条を、国民が知るすべを持っているかということだ。その役割を果たすのがニュースメディアであることは間違いないが、そのニュースメディアはいま、保守派とリベラル派に分かれ、国民を真っ二つに割るばかりだ。政治家と同じ土俵に上がってしまったのである。どのような出来事にも右左の価値観を当てはめ、安易な報道をするから国民が右往左往する。
本題に入ろう。議事堂の暴動を受け、下院議長のナンシー・ペロシ氏(民主党)は、残り10日あまりで大統領職を退くトランプ大統領を弾劾すると息巻いている。同議長に問いたいのは、「退職を目前に控えたトランプ氏に大統領失格の衣を着せて辞めさせることで何が解決するのか」だ。トランプ氏と共和党を辱め、また新たに敵対心、復讐心を起こさせ、次の4年間も泥仕合を繰り返すだけではないだろうか。
大統領選は、いつでも憎しみに満ちた戦いだった。お互いのスキャンダルを探し、「Gotcha!(ガッチャ)」(Got you!の略で、この場合は相手の弱みを「見つけた!」と喜ぶ言葉)と叫び、ひたすら攻撃する様を繰り返し何度も見てきた。候補者の世界観、国家論、そして人間の見方、価値観を堂々と戦わせた大統領選などなかったように思う。
4年前、トランプ氏がヒラリー・クリントン氏を破った選挙はその典型だった。その1年前に上梓した拙著『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』で筆者は、クリントン氏はスキャンダルまみれになって勝てないと予測したが、さすがにトランプ氏が大統領になるとは夢にも思わなかった。彼が最もうまくライバルの弱みを攻撃したからだろうが、そういう選挙の在り方が何を招くか、アメリカ国民は歴史的な教訓を得たであろう。
長年の友人で、ウォール・ストリートのエリートであるポールと話した。彼は大手投資銀行に勤務する筋金入りのトランプファンだった。「トランプは終わった。おそらく議事堂事件は、そうなることを望んだ勢力の罠にはまったのだと思うが、それを論じるのは適切でない。挑発に乗って怒り狂い、冷静さを失ったトランプは、大統領には不向きだったと言うしかない。しかし、ペロシの弾劾の動きも冷静ではない。勇み足だ」と語った。