東京五輪を控え、スポーツの試合に観客を入れるべきか否かはいまだに議論が分かれるところだ。ソウル五輪とバルセロナ五輪の2大会でマラソンに出場し、連続入賞を果たした中山竹通氏は「観客あってこそのスポーツ」という立場をとる。
「試合は、自分という存在を他者に訴えかける舞台。アスリートは『見られてナンボ』の商売です。落語の高座、演劇のステージと同じ。自分の走りを誰かに見せたい、感動を与えたいという衝動がなければ、決して向上しません。
見られている感覚は重要で、だからこそ『美しいフォームで走りたい』という欲が出てくる。不本意な結果が出れば『応援してくれたのに情けない』と悔しくなる。その心の揺れ動きが『強さ』になっていくんです。たとえテレビカメラが回っていても、その実感は薄い。目の前の観客の『熱』を感じることが大事なんです。無観客の五輪なんて、家で独り縄跳びしているのと一緒ですよ」
対してメキシコ五輪銀メダリストの君原健二氏は「観客なしでも問題ない」という立場だ。
「観客の声援は選手にとって大きな後押しになりますが、一方でプレッシャーにもなる。私は1964年の東京五輪で思うような結果を出せませんでしたが、今思えば沿道の大観衆を目の当たりにし、普段の冷静さを失っていた。大歓声がアスリートにとってプラスかといえば、必ずしもそうとは言えないのです。
ただひとつ言えるのは、観客がいようといまいと『偉大な選手は強い』ということ。東京五輪金メダリストのアベベも、銅メダルの円谷幸吉も常に『平常心』で臨んでいた。本当に強い選手はどんな環境でも冷静でいられる。観客の有無を気にしているうちは、アスリートとして一流とは言えないでしょう」
※週刊ポスト2020年1月15・22日号