【書評】『小津映画の日常 戦争をまたぐ歴史のなかで』/朱宇正・著/名古屋大学出版会/5400円+税
【評者】関川夏央(作家)
小津安二郎は一九六三年十二月十二日、首筋にできたがんのため六十歳の誕生日に亡くなった。最後の作品は『秋刀魚の味』(六二年)だが、戦後の小津映画の多くは同工異曲、ときに同工同曲とさえいえる都会的中流家庭の物語で、娘の結婚問題を通じて、父親が家長から保護すべき対象になりかわる時代をえがく。
『秋刀魚の味』の父親(笠智衆)は五十七歳、旧制中学から海軍兵学校に進み、終戦時には駆逐艦長だった。現在は、中学の先輩のコネで工業地帯の大企業常勤監査役である。ある日、同級生らと中学の教師(東野英治郎)を酒席に招き、酔った相手を送り届けた先は場末のラーメン屋だった。
そこに旧師の娘(杉村春子)が働いていた。老父を見放せず、結婚しないまま四十代後半になったその姿に衝撃を受けた笠は、自分の娘(岩下志麻)を思う。二十四歳、家事を任せて「便利に使っているうちに」「適齢期」を過ぎかけている。それ以前の小津作品では原節子が演じた役だ。
こんな、畳の上のお話が外国で理解されるわけはないと思っていたが、ヨーロッパで受け、アジアで受けた。ヴェンダース、侯孝賢をはじめ、世界の名だたる監督たちが小津を師とあおいだ。
韓国人研究者の朱宇正が育った時代、韓国では日本文化移入禁止だった。二〇〇〇年代にアメリカに留学、図書館で見つけた『晩春』と『東京物語』に、朱は強い「既視感」を覚えた。
中流家庭の「日常」には世界共通の何かがあると思い、同時に、それまで外国人の書いた小津論には、「西洋から見た非西洋の理解」という限界があると見切った彼は、二〇一二年、英語で書いたこの本の原型を英国の大学に博士論文として提出した。それをこのたび本人が日本語訳、名古屋大学出版会から刊行した。
「どうでもいい事は流行に従う。大切なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」といった小津を、朱宇正はもっとも深く理解した。
※週刊ポスト2021年1月15・22日号