コロナ禍もあって葬儀の簡素化が進んでいるが、葬儀そのものについて“しなくてもよいのでは”という考え方も出ている。いま葬儀の存在意義についてどう考えるべきなのか。葬送ジャーナリストの碑文谷創氏はこう語る。
「葬儀とは『看取りからの全プロセス』を指す。死の事実に向き合い、故人の人生と自分たちの関係を再確認し、共に弔うことでその喪失と悲嘆を共有する。この全過程が葬儀です。
そこで大切なのは『死者の尊厳』です。誰もが死に際して、『尊厳』を持って弔われる権利があります。たとえ大往生した超高齢者であっても、それが葬儀不要の理屈にはならないでしょう。葬儀を『儀式』という一点だけで見るから、要・不要などというおかしな議論になるのです。
いい葬儀とは、規模など関係なく、『柩の周りに自然と近親者が集まる』という光景によって生み出されるものです」
一方で『葬式は、要らない』などの著書がある宗教学者の島田裕巳氏はこう指摘する。
「葬儀は人の死を受け入れ、心の中に区切りをつけるという側面がありますが、高齢化社会では在り方が変わってきた。90歳で亡くなった方に『まだこれからだったのに』という無念は抱かないでしょう。
介護生活のなかでも、多くの家族がすでに覚悟を持つもの。『死を受け入れるための儀式』としての意味合いが薄れてきている。
立派な会場を借りて多数の参列者が集まるような葬儀が流行したのは高度経済成長期以降のことで、伝統文化ではない。日本経済の低迷で葬儀が見直されるのは必然。この十数年は葬儀の簡素化が進む一方です。新型コロナをきっかけに、改めて従来のような葬儀が必要かを考えるべきです」
※週刊ポスト2021年1月15・22日号