先進国の中でも特に女性の社会進出が遅れている日本。世界経済フォーラムが発表した2020年の「ジェンダー・ギャップ指数(男女平等指数)」において日本は、全調査対象国153か国中121位。先進国の中では最低ランクだった。
そんな日本の男性社会に飛び込み、傷つき、それでも風穴を開けた女性たちがいる──。
女流落語家がいないなら私がなりたい
上方の落語家、露の都さん(64才)は、現在、最年長の女性落語家だ。大阪のおばちゃん口調で日々の出来事を話す枕は、日常の笑いに満ちていて、笑福亭鶴瓶から“みやこ噺”と名づけられるほどだ。
「落語家を目指したのは高校3年生のとき。進路を決めるとき、大人気だった笑福亭仁鶴師匠の落語を聴いて、おもろいなと。それに加えて、女性落語家はいないということに惹かれて“落語家になりたい”って思ったんです」(露の都さん・以下同)
だが、なり方がわからない。『素人名人会』(毎日放送)の審査員に桂米朝がいるのを見つけ、この番組への出場を思いつく。
「1か月間繰り返しテープを聴いて覚え、本戦出場を勝ち取りました。そのとき審査員だったのが、露の五郎兵衛師匠だったんです」
番組終了後に弟子入りを志願するも「あかん、落語は男用につくられてるから、女にはできへん」とけんもほろろ。それでも粘って通い詰め、「ほな、そこにおり」と、舞台袖にいることが許された。そのうち、弟子たちが師匠の靴をそろえたり、着物をたたんだりしているのを覚え、見よう見まねで仕事を真似するようになると、師匠の方が折れた。
高校卒業の1974年から、内弟子修業が始まり、なんと半年も経たずに高座デビューをすることになる。
しかし、男物の着物で高座に上がる露の都さんに、「女の落語なんて気持ち悪い」「女の声は嫌や」と言葉をぶつける客もいた。女性の落語家を認めていない一門衆から、「あっちいけ」と楽屋を追われることもあった。
「そんなの、“あ、そうですか”とヨソに行けばいいだけ。そんなこと屁でもない。私、鈍感なんちゃうかな(笑い)」
結婚、出産を経て30代になり、女性の嫉妬を描いた『悋気の独楽』、人情噺の名作『子はかすがい』に出会う。
「古典落語特有の、女性のせりふの言葉遣いが汚いところが気になって。“さすがにそんなこと言わんやろ”と、自分が言うのに抵抗のあるせりふを変えていったんです」