【書評】『偏愛ムラタ美術館【展開篇】』/村田喜代子・著/徳間書店/2800円+税
【評者】川本三郎(評論家)
デイヴィッド・ホックニーの描いた三本の大きな木を見て、この木は「ズドーン!」と土中から緑の大砲のように飛び出していることに著者は子供のように驚く。野見山暁治の「ぶわーん」と宙に浮いた奇っ怪な生きものを見て著者は「うわっ、何ですか! これ」と腰を抜かす。
ポーは詩とは驚きだと言ったが村田喜代子にとっては絵画もまた驚きである。作家による美術論というと気取ったものを想像してしまうが、本書は何よりも「ズドーン!」「ぶわーん」という驚きから始まるので読者も論じられる絵に素直に入ってゆける。
クリムトのあまり論じられない『大きなポプラII』の化け物のようなポプラにもびっくりする。ワイエスの『クリスティーナの世界』の細密に描かれた「指に摘まめるほどリアル」な草々にも驚き、ワイエスは「並外れて視力が強かったのではなかろうか」と思う。通常の美術評論とひと味もふた味も違う。著者の小説世界と同じように次々に意表を突く。
セレクションも変わっている。西洋名画だけではない。日本画あり、ビザンティン美術あり、北部九州に点在する彩色装飾古墳まで語られる。古墳に描かれた絵が実にモダンなのに感嘆する。引率した女子学生は「もう死んでも平気。怖くなーい!」と声を上げる。
次々に紹介されてゆく美術に読者も新鮮な驚きを覚える。奥山民枝、堀晃、甲斐大策、後藤愛彦といった必ずしも広く知られていない画家の作品には、著者ならではの「発見」がある。
さらに日本画が好きだという著者が紹介する江戸期の画家、長沢芦雪の『捕鯨図』の奇抜さ。題名を見ないと分からない。下半分が黒く塗りつぶされて、上の方に船らしきものが見える。黒い部分は鯨なのだという。まさに抽象と軽みこそが日本画の真骨頂。古地図が好きというのも奇想好きの著者らしい。およそ実用的でなく想像の産物なのだから。さらに後半に紹介される戦争画の数々には粛然とさせられる。
※週刊ポスト2021年1月29日号