未知の感染症で滅亡の危機にさらされる人類を描いた『復活の日』や、日本列島を大地震が襲う『日本沈没』など、SF作家・小松左京氏の作品は、たびたび「未来を予見していたよう」と評されてきた。そんな小松氏を近くで見続けてきたのが、1977年から34年間、小松氏の秘書を務めた乙部順子氏だ。小松氏が生誕90年をむかえたいま、その知られざる素顔について聞いた。
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小松さんは生来明るい性格で、少年時代は「うかれさん」と呼ばれていたそうです。私にも「乙部ちゃん、乙部ちゃん」と陽気に話しかけていましたが、一方では飲み会を開くといつまでも人を帰さないほど寂しがり。上京しているときは、関西の自宅に必ず電話をかけて、奥様に「猫は元気か?」と家族の様子を確認していました。
根っこは「うかれさん」な小松さんにとって、SF作家になる上で大きかったのが戦争体験でした。小松さんは勤労動員で人間魚雷の工場で働いたり、空襲で水ぶくれになった遺体の片付けもしたと聞きました。戦後、経済成長した日本が戦争を忘れていく中で、あの悲惨な戦争の意味を考え続けていました。
14歳で終戦を迎えた後、京大時代に同人誌で発表した小説は、暗くて救いようのない内容のものが多い。しかし、SFと出合い、パラレルワールドなどSFの手法を取り入れることで、自分の中にあるマグマのような思いを表現できるようになった。小松さんは「戦争がなかったらユーモア作家になっていたと思う」と話していました。
私が小松さんの全作品を読んで身に染みたのは、作品に通底するテーマが全くぶれなかったことです。彼は人類という知的生命体がどこに向かうかという大きな視点とともに、市井の人々のささやかな喜びを決して忘れませんでした。私が「小松さん、全然ぶれませんね」と声をかけると、小松さんは「アホでんねん」と一言。アホだから変わりようがない、と言いたかったのでしょう。いかにも小松さんらしい受け答えだと思いました。