ストレスを抱えながら不規則な生活を続けている人が発症しやすいという「パニック障害」。しかし、内科などの検査では異常が出ないため、人に理解されないことも多いという。1999年にパニック障害が発症した経験を持つシンガーソングライターの円広志さん(67才)に、診断までのもどかしさや病気の向き合い方を語っていただいた。
「発症したのが1999年だから、この病気とのつきあいも20年以上になります。いまは症状をコントロールできるようになりました。寝不足が続いたりすると、症状が出そうというのが感覚でわかる。だから薬などで対応できるんです」(円さん・以下同)
発症した当時は関西を中心にテレビやラジオでレギュラー・準レギュラー番組を6本抱え、多忙を極めていた。
「あのときはね、“芸能人は寝ないのがステータス”くらいに思っていましたから。忙しいのが苦ではなかった」
仕事の後、朝まで酒を飲むことも多かったが、周りから「鉄人」と呼ばれるほど、体力には自信があった。ところが―仕事帰りの車内で突然、車窓の景色が勝手に動き出す感覚に襲われた。最初は疲れかと思ったが、どんどん不安が膨らみ、人に会うことすら恐怖で耐えられなくなった。最終的には、テレビ番組をすべて降板させてもらった。
「病院を6~7件まわり、内臓から脳まで調べてもらいました。でも、検査結果は、“異常なし”。じゃあ、この不調はなんだ、と。わからないことが怖かったですね」
当時はまだパニック障害があまり知られていなかったため、周囲には「気のせいや」「根性がないからや」などと言う人が多く、傷ついたという。一方で、救われたのも仲間からの言葉だった。
「島田紳助さんに番組をしばらく休ませてもらうけど申し訳ないと、ご挨拶をしに行ったことがあるんです。そのときは何も言われなかったんですけど、家に帰ったら紳助さんから“やっぱりきみは少しおかしい”という一言のメールが来ていたんです。ああ、紳助さんはわかってくれたんやな、と思いました」
上沼恵美子さんの思いやりにも励まされた。
「芸能ワイドショー番組『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』(読売テレビ)を休むとき、上沼さんが“席を置いて待っていますから”と言ってくれたんです。これも本当にうれしく、ありがたかったですね」
テレビ番組は降板したが、ライブはキャンセルできなかった。膨大なキャンセル料がかかるうえ、ファンに迷惑をかけるからだ。しかし体調は立っていられないほど……。
「捕らわれの宇宙人みたいに、マネジャーに体を両脇から抱えてもらって、会場に通っていました。症状がひどいときは舞台の後ろに設置してもらったベッドで寝て、イントロの音楽が流れてから起きて舞台に立ったことも。スポットライトもやめてもらいました。自分の周りだけが明るくて、ほかが暗いと怖いんですよ」