わずか7年半の芸能生活だった。国民的歌姫として人気絶頂期に結婚、引退、以来一度も表舞台に立たないという人生の選択をした山口百恵さん(62才)に多くの人は胸を動かされた。あれから約40年、最新技術でリマスターされた最後のコンサートの再放送に大きな反響が寄せられている。いまもなお彼女の歌声が言葉が私たちを動かすのはなぜなのか。
《本当に私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります》
そうファンとの固い約束を口にすると、最後の曲『さよならの向う側』を歌い終え、万感の思いで会場を見渡した。そして静かに白いマイクを置き、7年半の芸能生活に幕を下ろした。
永遠に色褪せることのない、山口さんの最終章。『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合・1月30日)が放送されると、たちまち反響は広がり、ツイッター世界トレンドランキング1位を記録。往年のファンだけでなく、ネット世代の若者にも支持されたことが証明された。
百恵さんの圧倒的な歌唱力は誰もが認めるところだが、歌と歌の合間のMCで紡ぎ出される彼女の言葉も、とても21才の女性とは思えない重みがある。彼女の生い立ちゆえか7年半という芸能生活の苦労ゆえか。40年の月日が過ぎていまなお、人々の胸を打つのはなぜなのか。彼女の“最後の言葉”の記録──。
40年前の10月5日、三浦友和(69才)との婚約と同時に芸能界引退を発表して7か月が経っていた。百恵の生の姿が見られる最後の機会とあって、会場は異様な熱気に包まれていた。姿がステージに現れると、客席はその一挙一動に固唾をのむ。百恵は一気に2曲を歌い上げ、こう口を開いた。
《今日のこの日を見守っていただける。こんな幸せなことはありません。これから本当に短い時間ですけど、思い切り悔いを残すことのないように精一杯、歌っていきたいと思います》
百恵はデビューするまでの小学、中学時代を神奈川・横須賀で過ごした。海軍基地からほど近い、潮の香りが漂う町だ。『横須賀サンセット・サンライズ』『I CAME FROM 横須賀』と続き、一呼吸置くと、ふるさとへの思いを吐露した。
《ふるさと。そう問われる度に「横須賀です」、そう答えてきました》
母子家庭で育った百恵は決して裕福な家庭ではなかった。狭い借家で母と妹と3人で身を寄せ合った横須賀の生活を百恵は振り返る。
《私にとってはあの町がとても懐かしいふるさとのように思えるのです。風の香り、潮の音、夕焼けの色、坂道……遠くに見える海。学校、図書館、友達。
あの町を離れた8年間で、もしかしたら私はすでに異邦人になってしまっているのかもしれない。そんな寂しさをふと感じることがあります。8年間飛び越えて戻ってあの町に立てたら、きっと私自身はいまとはまったく違った人間になっていただろうなって。でも望んでみてもそれは仕方のないことなのです。
私の中であの町がふるさととそう呼べる限り、あの町は変わりなく私を迎え入れてくれると思います。なぜならばあの町は、横須賀は、私のすべての原点だと思うから》