【書評】『人とことば』/日本歴史学会・編/吉川弘文館/2100円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
この未曽有の危機だというのに、首相からも、政府与党からも元気の出る言葉を聞かない。野党・都知事も国民が頼りにできる言葉を出せないでいる。
しかし、本書を紐解けば先人の言葉に勇気づけられるか、歴史の本質を見出す人も多いはずだ。日本史上最大の名言はおそらく板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」だろう。実際には「吾死するとも自由は死せん」だったという。
「私は、名実ともに、“無思想人”であることを天下に宣言したい」というマスコミの帝王・大宅壮一の言葉も味わい深い。危機の時に無思想で生きるには非常に強い個性と人格を必要とするというのだ。自分の身は自分で守るという自覚は、“無思想人”たる決意から始まるのかもしれない。
野人肌の外交官・石射猪太郎は、「広田外務大臣がこれ程御都合主義な、無定見な人物であるとは思わなかった」と述べた。日中戦争の拡大を阻止する意志が乏しい広田弘毅への批判である。広田は小説家の文章で美化されすぎた。この大臣の個所に現在の大臣、与野党の党首・幹事長で読者が裏切られたと感じる人物の名を入れるなら、コロナ危機で露呈した現代日本の政治家の限界を痛感することだろう。
田中角栄に、「官僚主導の政治」を「国民の求めているところが十分に反映されない政治」だと批判した発言がある。しかし、当時の官僚は優秀であり、田中も官僚を扱う術にたけていた。国会で官僚をつるしあげるのを得意がる議員のいる世界に有望な若者は背を向けている。こうした議員を選ぶ有権者にはコロナ禍で戦略的発想を出せない政治家・官僚を生んだ責任の一端がある。
さて、平塚らいてうの「女性は実に太陽であった」も有名な言葉である。ただし、これには次の言葉が続く。「今、女性は月である。他に依って生き、他の光に依って輝く、病人のような蒼白い顔の月である」と。最近、自分を太陽と考え、相手の女性を月に擬えた男の大胆な発言を聞いて驚いた日本人は多い。その後、人びとの違和感が当たったのは歴史の怖さであろう。
※週刊ポスト2021年2月12日号