【書評】『みがわり』/青山七恵・著/幻冬舎/1700円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
人に伝記の執筆を頼まれる小説は面白い。デヴィッド・ゴードンの『二流小説家』然り、又吉直樹の『火花』然り。『みがわり』は、自分と瓜二つの人間の伝記小説の執筆を引き受けた小説家の話だ。重層的な分身小説であり、不思議なシスターフッド小説でもある。「書くもの」はなにかに書かされていること、「書かれたもの」は常に反乱を起こしうることを改めて実感する。
最初に語り手/主人公として登場するのは、本名を「園州律」という新人作家だ。当然ながら誕生日は三月十四日。大ファンと名乗る女性「九鬼梗子」が現れ、山岳事故で亡くなった梗子の姉「百合」の「お話」を書くことになる。律は九鬼家に通って百合と一族の身の上を聴くことになるが……。
あちこちにダブル(分身)が登場する。律は、自分と容姿がそっくりな百合の物語を書くために、彼女の「憑代」となっていく。あるいは、百合と梗子は幼いころ両親を交通事故で亡くしており、伯母「小宮尚子」に育てられたが、姉妹の母と尚子も、早くに両親を亡くしている。尚子は両親と妹を亡くした人であり、梗子は両親と姉を亡くした人で、ふたりは分身的な関係にある。
さらに、律は大親友だというバリキャリの「柏木繭子」から服を借りたり、彼女の名前を借用したりするうちに、繭子の身代わりのようになる。「書く人」である律の奮闘と、「書かれる人」である九鬼家の人々の懊悩、それは家族のある秘密を反映している。こうした成り行きや、律と腐れ縁の「雪生」との関係の間に、律が執筆する小説の断章が挟まれていく。梗子、伯母の尚子、百合、謎の二人称文体と、語りの視点を変えながら。
さて、本作はみごとな整合性に、奇妙ないびつさと自虐的なユーモアを併せ持つ。これはなぜか? そこにこの小説が生まれた秘密が隠れている。書くもの、書かれるもの、それを運ぶもの。真実は言葉にならない「未文字」にあるというホフマンスタール的な後退の先へ進んでいく果敢な小説である。
※週刊ポスト2021年2月19日号