【書評】『会いたくて会いたくて』/室井滋(作)・長谷川義史(絵)/小学館/1200円+税
【評者】中島京子(作家)
室井滋さんと長谷川義史さんは、これまでも傑作絵本を数々世に送り出してきた名コンビだ。だけど、今回の絵本は、いままでのとちょっと違う。絵のタッチがすごく違う。この『会いたくて会いたくて』は、文字通り、子どもから大人まで、読んで胸にしまっておきたいような一冊になっている。
小学生のケイちゃんには、ホームで暮らすおばあちゃんがいる。
大好きなおばあちゃんに会いたいのに、ママは行っちゃダメと言うし、行ってみたらホームの玄関は閉まってるし、ホームの人が出てきて「今はおみまいできないの」と言う。
わたしたちにはわかっている。これはコロナだ。この理不尽はコロナのせいなんだ!
高齢者施設にお見舞いに行けないのはほんとうにしんどい。入院した人に会えないのも。ふるさとに帰れないのもつらい。いつでもできると思っていた「会う」という行為が、こんなふうに奪われると思っていなかったわたしたちは、みんな不意打ちをくらって戸惑ったままだ。
でも、ケイちゃんのおばあちゃんは、なかなか肚がすわっている。施設の窓から孫のケイちゃんに糸電話をぽんと投げてよこし、絶妙なソーシャルディスタンスを保ちつつ、現代的な便利さの渦の中で見失われているだいじなことを、思い出させるのだ。
手紙。列車の旅。船旅。そう、昔、人々をつなぐものは、けっこう時間がかかるものだった。昔の人はもっと時間をたいせつにした。思いを募らせる「会えない」時間さえ。
ケイちゃんは、おばあちゃんに感化されて、ゆっくり、じっくり世界を見つめることにした。そして、いままで見つからなかった四つ葉のクローバーを原っぱで見つける。
世界がコロナ禍に見舞われて、みんなが「会えない」寂しさを募らせた二〇二〇年の春ごろ、しかし、人間の世界でないところでは、ちょっと幸せな風景があったのを、わたしは思い出した。満開の桜の下でのんびりする奈良の鹿。澄んだ海に帰ってきたジュゴン。パリの石畳を我が物顔で歩く鴨の親子。工場が休みになって、空気が澄み、東京からすら、美しい山が見えた。もちろん、いつまでも経済や人の移動を止めているわけにはいかないんだけれども、コロナが強制的に現代人の超便利生活に待ったをかけたために、見えてくるものがたしかにあった。
わたしたちはいまみんな、不自由の中にいる。ちょっとつらいけど、しかたのないことでもある。そうであるならばせめて、この不自由がもたらした、きらっと光るもの、四つ葉のクローバーみたいなもの、思い込みからの自由みたいなものを、見出したいじゃないか! そして見出したものを、やっぱりたいせつな誰かと分かち合う方法だって、いっしょうけんめい考えればあるんじゃないだろうか。おばあちゃんの糸電話みたいに。
そんなふうに、思わせてくれる、やさしい、繊細な、そして深い絵本なのである。
※女性セブン2021年2月18日・25日号