【書評】『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』/東浩紀・著/中公新書ラクレ/860円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
哲学者=批評家の「士族の商法」から始まって、年商三億円の「中小企業のオヤジ」となるまで。「サクセス」とは呼べないが、ある種の「成功」とならいえる十年間の「ビジネス戦記」、否、あっけらかんとした実業「苦戦」記である。ハイリスクにして、求めるものはハイリターンに非ずして、ローリターン。その効率の悪さ、かっこよくなさ、真率さが、全編に溢れているのが東浩紀の『ゲンロン戦記』だ。
東大生時代に批評家デビューし、二十代で現代思想のスター、三十代で「おたく」にして情報革命を確信する若きオピニオンリーダーとなった東浩紀は、「ゲンロン」という小さな会社を起業して、四十代を漂流する。雑誌「ゲンロン」、イベントスペース「ゲンロンカフェ」を拠点とした企業活動は、大学、アカデミズム、既存メディア、リベラル知識人といった旧態依然の体制反体制への身体を張った異議申し立てであった。
といってもその実態は、危なっかしい経営者に過ぎない。放漫経営、個人保証の借金、社員の反乱が次々と襲う。勝利に酔える瞬間は時たまにしか訪れない。眼高手低での超低空飛行が続く。
その中で「知の観客」をつくり、さらに育て、「誤配」や「観光」といった東自身の哲学的モチーフの発展、深化がある。高い授業料は無駄にはならず、オルタナティブの新しい芽が目に見えてくる。人との出会いがある。新鮮な「当たり前」を経験する。
雑誌「ゲンロン」だけで見ると、日本の批評家の流れから出たものだ。小林秀雄の「文學界」と「創元」、江藤淳の「季刊藝術」、柄谷行人の「批評空間」、さらに福田和也、坪内祐三の「エンタクシー」など。先行する雑誌にあった「密」な人間関係、社交空間を受け継ぎつつ、インターネットが可能にする自由で新しい方法論が、中小企業あるいは個人商店といった小ささで実践される。
身体と生活をともなう思想の実験として注目すべき記録であった。さらなる健闘と苦闘を祈る。
※週刊ポスト2021年2月26日・3月5日号