新型コロナウイルス騒動により、政治や経済のみならず、エンターテインメント界にまで停滞感や閉塞感が漂っている。ノスタルジーに浸るつもりはないが、昭和の日本映画界を築いた黒澤明氏が今の時代に生きていたら、このコロナ禍をどう乗り切っただろうか──。元東映惹句師の関根忠郎氏が黒澤氏の功績を振り返りながら想像した。
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コロナ前まで、日本映画はシネコンも含めて年間約600本が劇場公開されてきました。しかし、コロナによる自粛や入場制限によって製作本数が激減し、客足も遠のいてしまいました。
その一方で、巣籠もり需要もあいまって、動画配信サービスによって映画を視聴する人が増え続けています。
デジタル技術を駆使して安価に映像が作れるため、いろいろな人が映画作りに参入でき、世界中の人に届けられるようになりました。それは良い面もありますが、スケールの大きな、リアルな作品が生まれにくくなってしまった。
もしこの時代に黒澤明監督がいたら、リアルな時代劇巨編で世間をアッと言わせたのではないでしょうか。
黒澤監督の時代劇は、当時、主流だった優雅なチャンバラ劇を見事に吹き飛ばしました。東映時代劇の立ち回りはまるで日本舞踊のようにきらびやかで、斬られても血しぶきは見せなかった。
ところが黒澤映画では、凄まじいほどの血しぶきを上げて倒れていく。『七人の侍』では薄汚れた野武士たちと農民たちが豪雨の中で壮絶な戦闘を繰り広げますが、その演出は8台のカメラによる同時撮影という映画史上最大のスケールでした。
コロナという災害は、『七人の侍』になぞらえれば、農民を襲う群盗のようであり、略奪を恐れる農民の姿は、“自粛せよ”と言われ、分断されて息苦しい生活を送っている私たちと重なるところがあります。