日本では65歳以上の6人に1人が認知症有病者とされ、今や認知症は「誰もがなりうる病気」と言われている。「認知症の家族の介護」は決して他人事ではなく、心の準備をしておく必要がある。
ジャーナリスト・安藤優子さん(62)は、『週刊ポストGOLD 認知症と向き合う』の中でインタビューに応じ、ニュースキャスターとして毎日の生放送に出演しながら、認知症になった母・みどりさんの介護に16年間向き合ってきたことについて語った。傷つき、悩んだこともあったが、真摯に向き合い続けた結果、「母の最期は理想的なものだったのかもしれない」と思えるようになったという。
認知症は、本人にも、家族にも、決して「絶望」ばかりではない。安藤優子さんの介護体験がそれを教えてくれる。
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最初に異変を感じたのは今から約20年前、母が70代前半の頃でした。
「ベランダから飛び降りてやる!」
埼玉にあるマンションの8階で父と2人で暮らしていた母が突如、そう叫んだのです。家族や近所とのトラブルもなく、何の理由も考えられないなか、突然の出来事でした。今思えば、この頃すでに老人性うつが始まっていたのかもしれません。
それから少し経ったある晩、母は自宅の玄関先で転倒して起き上がれなくなりました。父は母を助け起こせず、彼女は冷たい床に横たわって毛布だけで一晩を過ごしました。翌日、救急隊に救出された母は、近所を騒がせた羞恥心や屈辱感から心に大きな傷を負い、自室に引きこもって私や姉が訪れても口をきかなくなりました。
それまでの母は明るく社交的で、料理や旅行が大好きでしたが、この一件以降は人が変わったように内に閉じこもるようになりました。私は「あの母はどこに行ったのか」と大きなショックを受け、何が起こったか理解できませんでした。
さらに母を追い込んだのが父の死です。最初の異変から約5年後のことでした。母の生活を支えていた父が、がんが見つかって半年で亡くなり、ひとり暮らしになった母の認知症の症状は格段に進みました。
当時の母は要介護認定を受けており、私たちはケアマネジャーやヘルパーの助けを借りながら、兄妹持ち回りで在宅介護をしていました。
私はキャスターを務める『スーパーニュース』の生放送を金曜日に終えると埼玉のマンションまで車を飛ばし、週末は泊まりがけで世話をして、日曜に自宅に戻ってまた月曜から生放送という生活です。海外出張なども多く、その合間を縫って母のもとに駆けつけ、懸命に掃除をして食事を作っているのに、30秒ごとに「優子、優子」と用もないのに呼びつけられる。つい「ちょっと待ってて!」と声を荒らげることもありました。母の認知症が進むにつれ、こちらにも余裕がなくなっていくんです。