2011年3月11日の東日本大震災から10年が経つ。当時注目を集めたあの人は、いまどうなっているのか――10年後の姿を追った。
午後2時46分。震災の発生とともに被災地に鳴り響いたのは、防災無線だった。
宮城県女川町を襲った津波は最大20mに達した。港から300m離れた町役場3階の無線室では、女性職員が防災無線で町民に避難を呼び掛けた。
「津波警報時のマニュアルの文言の後半をカットして、とにかく『高台に避難してください!』と繰り返しました」
そう振り返るのは、女川町の臨時職員だった八木真理さんだ。
「しばらくすると防災係の係長が『ここも危ないからもっと上に逃げろ!』と無線室に入ってきました。慌てて出ると、2階と3階の踊り場あたりまで水が来ていた。急いで屋上に出て助かりました」(八木さん)
八木さんの必死の呼び掛けにより、多くの住人が高台に避難し、助かった。「命を救った防災無線」としてメディアでもたびたび取り上げられた。
八木さんは震災から1か月後の4月に退職。現在は女川町の保育園で保育士として働いている。
「園児たちには震災での体験や昔の女川町のことをよく話します。子供たちに伝えていくことが大事だと思います」(同前)
撮影/太田真三
※週刊ポスト2021年3月19・26日号