東日本大震災から10年の月日が経ち、被災地には活気が戻ったように見える。しかし、いまなお約3万6000人の人々が、原発事故によって故郷に戻れないままだ。37兆円を超える復興予算で、被災地はどこまで復興したのか──。ここでは、本誌・週刊ポストが10年間見つめ続けた「福島県」の復興する風景を定点観測でレポートする。
●福島・浪江町(2011年4月21日→2021年2月18日)
すでに住民が避難した後のJR常磐線「浪江駅」周辺。震災直後から町内全域に出されていた避難指示は、「帰還困難区域」を除く区域で2017年3月に解除されたが、避難先で新たな拠点を築いた人も多い。昨年、同町で実施された住民意向調査では、「戻らないと決めている」と答えた住民が54.5%にのぼった。
●福島・大熊町(2011年3月12日→2021年2月11日)
1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こす直前の福島第一原発。事故後、1日に140トンも発生する汚染水の貯蔵タンクが次々に増設され、現在、1000基を超す。来年には満杯になるとされ早急な処分が課題となるが、結論はいまだ出ていない。40年かかるといわれていた廃炉の見通しもまったく立っていない。
※週刊ポスト2021年3月19・26日号