東日本大震災から10年──。復興が進み変貌する風景が増えていく一方、被災当時の姿のまま保存し、後世に教訓を伝える「震災遺構」の整備も地元自治体や住民、企業などの手によって進んでいる。
津波で児童74人と教職員10人が犠牲になった大川小学校(石巻市)もそのひとつ。現状のままで校舎を残し、今春公開に向けて周辺の整備工事が最終段階を迎えている。
「震災遺構として保存、公開する理由は大きく分けて2つあります。ひとつは大川小学校や大川地区をはじめ、東日本大震災による多くの犠牲者の方々の慰霊、追悼の場としてです。もうひとつは、災害の恐ろしさ、事前の防災と準備の大切さ、避難行動の重要性などを後世や国内外に広く伝えていくためです」(石巻市復興政策部震災伝承推進室)
記憶を風化させないためにも、災害の爪痕を残して佇む各地の震災遺構の姿を目に焼きつけ、心に刻みたい。
震災遺構のメッセージ
●「今も残る折り重なった車」/気仙沼向洋高校旧校舎(宮城・気仙沼市)
4階まで津波に襲われた旧校舎は「目に見える証」の役割を担い、津波で流されてきた車が折り重なった状態などが当時の姿のまま保存・公開されている。
●「30人の命を救った外階段」/阿部長商店・ホテル観洋 創業者旧自宅(宮城・気仙沼市)
3.11の5年前に自宅に設置した外階段は約30人の命を救った。「自助、共助の象徴的な建物として保存し、防災・減災の大切さを後世に伝えていきたいです」(阿部長商店専務の阿部憲子氏)
●「大津波に耐えた横網像」/秀ノ山雷五郎の銅像(宮城・気仙沼市)
大津波に耐えて残った地元出身の第9代横綱・秀ノ山雷五郎の銅像。太平洋に向かって右手を大きく伸ばす力強い姿で被災地に希望を与えている。