東日本大震災から10年が経った。あのとき注目を集めた人々のその後の姿を追う──。震災を報じたメディアには様々な変化があった。
地震発生から30分以上経った午後3時22分。テレビ朝日の画面は宮古湾の情報カメラ映像をバックに、全国各地の津波到達予想時刻をテロップで画面いっぱいに伝えていた。その時――。
「なんでここでその状況を伝えてるんですか! いま来てますよ津波が! いま到達してるよ、テレビ朝日!」
拳で机を叩きながら絶叫する様が、その後の震災特番で何度も取り上げられたのが岩手朝日テレビ(IAT)の山田理アナウンサーだ。
山田アナは同年のANNアナウンサー大賞を受賞した。現在は2015年4月の異動で営業職の山田氏が振り返る。
「大きな揺れが来たので緊急放送の必要を感じましたが、報道フロアにアナウンサーがいない。慌ててジャケットを着てネクタイを締め、やるしかないと緊急放送の席に座りました」
地震発生後、東北沿岸部にあるテレ朝系列の情報カメラで機能していたのは宮古のカメラ1台だけだったという。
「津波到達予想時刻が画面に出ていましたが、震源に近い岩手、宮城、福島のほうが津波が早く来るだろう、と。
何かあればこちらから情報を発信しようとモニターを注視していたら遠くに白い波が見えたんです。これはやばいと思いました。この映像を流さないと意味がない。自分がマイクを取れば、テレ朝のサブ調整室の人たちが聞いてくれるかもしれないと、あの言葉を発したと思います。細かい内容はほとんど覚えていません」
当時は被災地の多くが停電しており、放送が避難誘導に役立つことはあまりなかったという。
「テレビの存在意義は何かと考えることはあります。営業に異動になってからも震災のことは考えますし、もっとテレビにできることは何か追究していきたい」
※週刊ポスト2021年3月19・26日号