【書評】『オーパ!完全復刻版』/開高健・著 高橋昇・写真/集英社/8000円+税
【評者】香山リカ(精神科医)
開高健。芥川賞受賞の小説家だが、ベトナム戦争に従軍し、世界中を旅して釣りをし、数々のルポや紀行を世に送り出してきた巨星が世を去って、すでに30年以上がたつ。しかし、本人の名を冠したノンフィクション賞から数多のベストセラーが生まれるなど、栄光はいまだ衰えるところを知らない。そして、このたび43年前に出た開高氏のアマゾン釣りツアーの記録『オーパ!』が完全復刻された。
買うのに覚悟がいる本だ。大型の上製本で、ブックレットもついてかなり分厚く重く、8800円もする。しかし、いま流通している文庫版ではもの足りないと思っていた愛読者は、ケースに躍る太い題字と裏に書かれているメッセージを見ただけで、陶酔の境地に陥ってつい買ってしまう。メッセージにはこうある。
「何かの事情があって野外へ出られない人、海外へいけない人、鳥獣虫魚の話の好きな人、人間や議論に絶望した人、雨の日の釣師……すべて書斎にいるときの私に似た人たちのために。」
ほら、もうこの本が欲しくなってきただろう。
本書の構成は単純だ。アマゾン河に生息する怪魚を釣ろうと、作家と同行者がひたすら釣り竿を振りまた移動する、その繰り返しだ。勇猛なドラードと格闘する日もあれば、ピラーニャの凶暴さに震える日もある。作家の文章は簡潔にして深奥、そして何よりアマゾンの豊穣な自然や釣りに挑む男たちの熱量をそのままとらえた高橋昇の写真がすばらしい。CGやスマホのカメラでは絶対に表現できない生の濃密さに、ただただ引き込まれる。
「生まれるのは、偶然/生きるのは、苦痛/死ぬのは、厄介」と本書の中で開高氏は書く。作家は生涯、うつ病にも悩まされたという。人生はアマゾンで釣りをする日々のように楽しいものではない、ということを彼はよく知っていた。しかし、だからこそこの紀行がより輝きを放つ。さあ、いま「何かの事情があって」どこにも行けない私たちよ。本書を開いて、ひととき夢の旅に出ようではないか。
※週刊ポスト2021年3月19・26日号