高校時代は治療と受験勉強に明け暮れた。大学に入ったら青春を取り戻したいと思っていた松井さんはテニス部に入部、医学の勉強、恋愛、充実した日々を過ごす。そして、病と闘う仲間と友達になるまで、家族以外に悩みや不安を打ち明けることができなかった自身の経験から、大学時代に若年性がん患者による、若年性がん患者のための団体「STAND UP!!」を設立する。
国家試験に合格して夢だった医師となり、専門医として小児腫瘍科を選ぶことにも迷いはなかった。
「自分が医師になってみて、今は一緒に働いている主治医だった先生に改めて感謝しています。当時先生は30代と若かったんです。でも振り返ると、僕の今後の生活を考えた治療法を選択してくれた。だから医師になれたし、結婚して子どもも授かることができた。今も信頼していますし、色々なことを教えてもらっています」
現在、一緒に働いている主治医だった先生は、当時アメリカから帰国したばかりだった。思い切り学ぶことの尊さと喜びを知っていたかつての主治医は、担当した患者が抱いた医師になるという夢を叶えさせてあげたい、そしてこれから続く長い人生を何よりも最優先に考え抜いてくれていたのではないだろうか。
がんを克服し医師となった今、あえて自分の病気の話は患者さんにしないという松井さん。
「でも、患者と医師、両方の立場を経験した人でしかわからないこと、できる医療があると思っています。僕は昔、患者だったし、親御さんたちのつらさも近くで見てきた。だから治療以外の不安や悩み、そんな気持ちにもしっかりと寄り添いたい、そう思っています」
ある日突然、宣告される大きな病に戸惑い、動揺し、闘病生活が始まるとき、同じ痛みやつらさを経験した医師からの温かい励ましの言葉は、どれだけ患者さんや、その家族の心を軽くしてくれることだろう。もちろん病を経験したことのない医師であっても、気持ちを想像し、接してくれるはずだ。しかし医師としての技術、高い知識があるうえで、同じ経験をした人にしか理解できない思いを共感することのできる松井さんのような医師は、貴重な存在に思えてならない。担当する子どもたちのなかにも「お医者さんになりたい」と、病と闘いながら、医師になる夢を抱く子どもたちもたくさんいるそうだ。
現在も勤務医として忙しい日々を送りながら、昨年11月には、若いがん患者さんたちがもっと悩みを相談し、繋がることができるようにと、LINEアカウントを作成するなど、松井さんの毎日は多忙を極める。若くしてがん患者となったかつての自分が心を閉ざした時間、やがて病と闘う仲間や主治医の先生に救われ、新しい夢に向かうことで少しずつ取り戻していった生活、そんなこれまでの経験全てが、30代半ばとなった今も新しい挑戦へと突き動かしているのだろう。
小児がん病棟で友達になった、あの小学5年生だった明るい男の子は18年経った現在、元気に働いていて、今でも松井さんの大切な友達のひとりだという。そして未来を一緒に生きることができなかった仲間たちは、心のなかにいつも共にいる。昼夜を問わない時間に追われる医師としての日々も、その傍らで懸命に続けている様々な活動も、たとえどんなに大変であっても、新たな夢を今でも追い続けることができるのは幸せなことだと、きっと松井さんはそう感じているのかもしれない。
【プロフィール】
松井基浩(まつい・もとひろ)/1986年、大阪府生まれ。高校1年の秋に悪性リンパ腫と告知される。浜松医科大在学中に若年性がん患者団体「STAND UP!!」を設立。東京都立小児総合医療センター血液・腫瘍科勤務。
●取材・文/服部直美(はっとり・なおみ)/香港中文大学で広東語を学んだ後、現地の旅行会社に就職。4年間の香港生活を経て帰国。ブルネイにも在住経験があり、世界の食文化、社会問題、外国人労働者などを取材。著書に『世界のお弁当: 心をつなぐ味レシピ55』ほか。