人気漫画『相談役 島耕作』で主人公・島耕作が新型コロナウイルスに感染し、話題になっている。はたして創作に携わる者は、フィクションにどこまで現実を反映させるべきなのか。コロナ禍の新たな表現様式について、『パッチギ』などの作品を撮った映画監督の井筒和幸氏が持論を述べる。
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僕の映画は喧嘩や乱闘はもちろん、一貫して濃密な人間模様を描いてきた。そこに人の熱量があるからだ。
そんなこともあって、コロナを前提とする世界観の映画なんて撮る気にもならない。群衆が入り乱れるシーンでみんなマスクして、距離をとってるなんて、そんなバカげた光景を誰が見たいのか。
「劇中でもコロナを描くべき」なんて言っている作り手は、いっそ遠隔撮影で分けて撮ったらいい。それで一人ずつCG加工でもしたらいい。きっとろくでもない珍品ができあがるよ。そんな世界でどんな人間ドラマが生まれるのか、僕にはまったく理解できない。
現実問題として、撮影現場では密なシーンを撮るのが難しくなってることは確か。苦労して森の中に行ったり、海の上で撮るとかね。それでもスタッフが固まるとアウトだっていうから話にならないよ。一人で歩いている姿を監視カメラで撮ってろっていうのか。
こんな環境で、世界のまともな監督らはどうしてるか。モノ作り自体をやめているんだ。ワクチン打つまでじっとするしかない。「本物の作品」を撮れないんだし。
表現ってのは、すべてのルールから解き放たれて自由であることなんで。現実世界がどうだからとか、そんなことは一切関係ない。3密であろうが、主人公が敵を何人殺そうが自由でしょ。マスクを着けた登場人物なんて、それこそ自由を奪われている象徴みたいなもの。アホらしいね。そんな窮屈な表現で本当の人間は描けない。
いまは次回作を準備し始めた段階だけど、これからも僕が撮るのは“ド密”な作品になりますよ。
※週刊ポスト2021年3月19・26日号