水泳の池江璃花子(20)が白血病の長期療養を経て、東京五輪代表選考会を兼ねた4月の日本選手権への出場権を獲得。2月21日には東京都オープンで優勝するなど、完全復帰を目指している。
池江と同じように、重病を患いながらも、舞い戻ってきたアスリートは多い。元プロ野球選手の岩下修一(47)は、1999年にドラフト4位でオリックスに入団。希少な左サイドスローとして1年目から44試合に登板する活躍を見せたが、2年目の01年7月、「急性骨髄性白血病」と診断された。
「このまま野球ができなくなったら、何のためにプロに入ったのかわからない。しかし抗がん剤治療は1回の投与が1週間ぶっ通し。“二度と病院に行きたくない”と思うくらいつらかった。そんな自分を救ってくれたのは、『退院後は再び野球ができる』という主治医と、『来年も契約するので、病気を完全に治してください』という球団の言葉でした」(岩下)
11月に退院するとすぐにトレーニングを再開。正月返上で自主トレに励み、教育リーグでの投球が認められて翌年に開幕一軍の切符を手に入れた。
「記者に囲まれたときに“奇跡ではなく、復活と書いてください”と頼みました。奇跡は誰もが無理と思ったことが起きたときに使う言葉。僕は病気が治ると思っていたし、野球もできると思っていましたから」(同前)
岩下は2005年オフに戦力外となったが、日本ハムにテスト入団。1年後、打撃投手に転向し、現在も裏方としてチームを支えている。
がん告知を受けて重い選択を迫られたのは、足のスペシャリストとして活躍していた元広島カープの赤松真人(38)だ。胃がんが判明したのは、2016年のオフ、34歳のとき。医師からは“ステージ3で抗がん剤治療が必要”と言われた。
「野球を続けるなら体力が落ちる抗がん剤をやらないという選択もあった。しかし、抗がん剤をやらなければ死ぬ可能性が高い。生きるか死ぬかを考えて、僕は生きるほうを選びました」(赤松)