“自民党のドン”と選抜高等学校野球大会「春のセンバツ」には意外な物語があった──。アルプス席で溌溂と踊るチアリーダーは甲子園の風物詩だが、その起源は今から65年前、あるセンバツ出場校の応援団長による発案だった。その人こそ自民党の二階俊博幹事長(82)である。
1956年2月、二階氏の母校・和歌山県立日高高校のセンバツ初出場が決定した。和歌山放送報道制作部編著の『地元メディアが見た 二階俊博 力の源泉』(創藝社刊)によれば、当時2年生で新聞部に所属していた二階青年は、野球部から頼まれて応援団長を引き受けることに。
それまで応援団がなかったため、大学の応援団に所属するOBに指導を依頼し、自身は甲子園への応援団の旅費の資金集めも買って出た。
さらに女子生徒による“チアリーダー”を企画。当時は女性が人前で踊るなど考えられなかった時代で、報道陣の取材が殺到したという。チアリーダーは同級生8人が集まったが、そのうちの2人から話を聞いた。和歌山市内でスナックを経営する岡本倭代さんが語る。
「応援団の練習はOBの大学生の指導が厳しかったのですが、二階君は優しかった。可愛い服を着て踊るのではなく、上はセーラー服で下は黒ズボン。女性というだけで、やっていることは男子と同じ応援演舞でした」
もう一人の淳子さんは「近所に知られると恥ずかしい」との理由で仮名だが、こんなエピソードを明かす。
「最初は『恥ずかしくてお嫁に行かれへん』って尻込みしましたが、二階君は押しが強かった。たしか『僕がもらったるから』って言われて参加を決めました(笑い)。
応援団の練習の後、二階君が私を家まで送ってくれたことがあったのですが、私の母に『責任もってお預かりしますので、ご心配なく』と挨拶したんです。母は大笑いしていました。彼は小柄で色黒だったから、女子生徒たちの間では“ゴンボちゃん”と呼ばれていました。ゴンボとは方言でゴボウのこと。当時は可愛らしかったですよ」
二階青年は3年生になると生徒会長選挙で圧勝。県議時代から選挙で負け知らずの“不敗神話”はこの時から始まっていた。
※週刊ポスト2021年4月2日号