体当たり企画などを得意とする『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、世の中や身の回りのさまざまなトピックに、素直な意見を投げかける。今回は、”乗り鉄歴46年”というオバ記者が、鉄道旅行の楽しみを解説する。
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「従姉のYさんにハンコをついてもらわないといけないんだけど、お願いできない?」
先日、80代の親戚に泣きつかれた。Yさんは北海道旭川市に住んでいるんだけど、「飛行機代を出す」とまで言われたら断れない。そういえば、私が最後にプライベートで旅行をしたのはちょうど1年前のこと。コロナ禍で出かけたのは、体に不具合が出てきた93才の母親の用事で、茨城の実家ばかりだ。親戚に詳しく事情を聞くと、移動手段は飛行機に限らなくてもいいみたい。
ならば、少しでも旅気分に浸りたくて、発売中だった『大人の休日倶楽部パス JR東日本、JR北海道』を利用することにした。JR東日本と北海道の全線が新幹線を含めて乗り放題で2万6620円、という商品だ。乗り鉄歴46年の私に、ひと回り下の女友達・ゆみちゃんがつきあってくれた。東京発06時34分で、新函館北斗~札幌、約10時間の旅だ。
週末とあって、東京から新函館北斗までの新幹線の乗客は8割ほど。しかし、それも仙台までで、新青森から先はスカスカになった。札幌から乗った「特急ライラック37号」の車内は、私たち以外に3人。1両にわずか5人しか乗っていない。夜の北の大地を、風を切って走る列車音に耳を澄ませていると鉄子の私は幸せなのだが、ここまでガラガラだとうすら寒くなる。
夜8時過ぎに着いた旭川の駅は、木材をふんだんに使ったモダンな内装。有名な建築家・内藤廣さんの設計だというけれど、斬新な駅舎も人で賑わってこそだ。
私が旭川を最初に訪れたのは、40年も昔の冬のこと。札幌のすすきのでパブを開く友人を10日ほど手伝った後、網走まで流氷を見に一泊旅行。その途中、「北海道でいちばん寒い町」と聞いて、深夜の旭川に降りてみたの。当時は国鉄時代、色気もそっけもない待合室だった。
3年前、旭川を訪れたときに乗ったタクシーの運転手は、シャッター街になったメインストリートを走りながら、「この5年で人口が3万人減ってます」と言っていたけど、このコロナ禍でさらに酷いことになっているのは、誰に聞くまでもない。
翌朝、Yさんに会って用事を済ませた後、私たちは旭川から稚内まで北上することにした。
「3密ってどこの世界のこと、だね」
特急「宗谷」の中は、しわぶきひとつ聞こえない。私とゆみちゃんもまた、車窓を楽しみたいから、“窓際縦乗り”だ。稚内駅も旭川と同じで、目を見張るばかりのキラキラ、近代モダンな建物なんだよね。真新しい建造物が、こんなにも人の気持ちを沈ませるのか。
しかし、憂鬱なことばかりじゃない。家に帰ると私はFacebookに「大人の休日倶楽部パスの、大人げない乗り方」という次のような文を載せたの。