1994年、名実共に香港のトップ女優として君臨していた李麗珍(ロレッタ・リー)の写真集は映画ファンに衝撃を与えた。当時の本誌・週刊ポストに、宗教学者の中沢新一氏は「はつらつとしていて、可愛らしいところがとてもいい」、脚本家の内館牧子氏は「笑顔が本当に自然で良い」とコメントを寄せたほど、彼女の魅力は異彩を放っていた。
あれから27年後──まさに伝説となった写真集の当人から、海を越えてメッセージが届けられた。
──当時、日本でヌード写真を撮ろうと思った理由は?
私は小さい頃から周囲に言われるままに演じていて、女優としては平凡な部類でした。27歳になっていた私は「学生の恋人(学生情人)」と呼ばれるのはもう無理だなと思っていました。それで、当時のマネージャーと相談し、1年以内に耽美的なヌード写真集を出版することと、ヌードシーンのある恋愛映画に3作出ることで、局面を突破しようと考えたんです。
最後はすべて私が決めて、人々に“キャラ変”を受け入れてもらうことができました。日本や台湾、シンガポール、マレーシア、韓国の人々にも、私のことを知ってもらうことができました。家族も、私が何度もよく考えて決めたことだと理解してくれました。
──写真集を見ると、どんなことを思い出しますか?
私にとっては、映画やテレビのお仕事と同じような芸能活動の一部分でした。どれも唯一の経験だと思っています。小澤忠恭氏はさすが巨匠と言われるだけありました。あの時の少女のような気持ちは、今も私のなかに残っています。あの時は若かった! ははは!
──撮影時の思い出は?
当時は2週間ほど日本に滞在し、滞在中はサーモンを食べるのが大好きでした。毎日仕事が終わったあと、スタッフの方たちがよくサーモンを食べに街へ連れて行ってくれました。