【書評】『日本の包茎 男の体の200年史』/澁谷知美・著/筑摩選書/1600円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
いわゆる仮性包茎を、現代の医学は治療が必要な病気だと、みなさない。手で皮をむき、亀頭を露出させることができるのなら、ほうっておいてもよいと考える。その点で、まったく皮のむけない真性包茎に対処する場合とは、扱いがちがう。
そもそも、医学のグローバル・スタンダードに、仮性包茎という概念はない。あるのは、外科処理をしたほうがいい包茎と、正常な陰茎の二区分のみである。日本で、しばしばとりざたされる仮性も、国際的な場では正常の範囲におさまってしまう。
にもかかわらず、日本ではそれもなおしたほうがいいと、よく語られてきた。じっさい、そういう警告を耳にしたことのある人は、多かろう。だが、気をつけてほしい。治療をしろとあおったのは、一部の美容整形医であった。一般の外科医ではない。美しい外貌をつくろうとする医者たちが、宣伝につとめてきたのである。
この本は、彼らがまきちらしてきた文句の数々を、網羅的にしらべあげている。二〇世紀以後の揚言をあつめてならべ、時代ごとの移り変わりをうかびあがらせた。それらの虚妄性も、白日のもとにさらしている。
仮性であっても、包茎は早漏につながりやすい。結婚生活に、重大な支障をきたすことがある。男性読者の多い雑誌や週刊誌には、よくそんな物言いがとびかった。多くは、美容医たちとのタイ・アップ記事である。メディアで言葉がつむぎだされていく。その裏面にもこの本はせまっている。
一九七〇年代以後には、包茎をけむたがる女性の声があふれだす。ヤダー、フケツー、等々と。もちろん、それらもメディアがふくらませた仮想の言説であった。では、どうしてそのころから女の意見が、誌上で要請されるようになったのか。そこへわけいる社会学的なまなざしが、するどい。
読めば、この問題でなやむ男も、ずいぶんいやされよう。じつは、手術をしたという読者だって、いろいろ考えさせられると思う。
※週刊ポスト2021年4月9日号