新型コロナウイルス感染症の感染拡大にともなうテレワークの急速な普及を背景に、「ワーケーション」なる言葉がしばしば取り上げられるようになった。
ワーケーションは「ワーク」と「バケーション」を組み合わせた造語で、「保養地や観光地で休暇(余暇)を楽しみつつ、現地で仕事もする」というワークスタイル。もともとは2000年代にアメリカで生み出された言葉だといわれている。
昨今の国内におけるワーケーションは政府と旅行業界が中心となって旗振りをしており、環境省は2020年4月、国立・国定公園や国民保養温泉地への誘客やワーケーション推進を支援する、という主旨で関連事業者などに対し補助金の交付を発表した。
以来、小泉進次郎大臣を中心に、環境省は折りに触れてワーケーションのPRに努めている。たとえば、2020年9月4日に小泉大臣は磐梯朝日国立公園の「休暇村裏磐梯」でワーケーションを実践し、その模様をメディアに披露。さらには同月の連休中に環境省の職員をワーケーションへ出向かせ、「9割の職員がモチベーション向上、心身の健康向上を実感」など、さまざまなメリットを公表した。
そうしたなか、佐賀県嬉野温泉の老舗温泉旅館「和多屋別荘」は、2020年4月より客室をサテライトオフィスとして提供する事業を始動。その入居第一号として、東京でプロモーションなどを手掛けるイノベーションパートナーズがサテライトオフィスを開設した。さらに2021年1月から、和多屋別荘とイノベーションパートナーズの共同事業として「温泉ワーケーション」サービスをスタートさせた。
そこで今回、和多屋別荘社長の小原嘉元氏とイノベーションパートナーズ社長の本田晋一郎氏に“温泉旅館経営とコロナ禍、そして温泉旅館におけるイノベーション”といった視点から、実状を語ってもらった。
以前からあった温泉旅館の危機感「コロナだから新事業、ではない」
小原氏は和多屋別荘の創業者を祖父に持ち、父は先代社長という、老舗旅館の三代目当主である。同館のサテライトオフィス事業とワーケーション事業は、小原氏と、東京を拠点にプロモーション事業、地域創生事業などを手がけるイノベーションパートナーズの本田晋一郎社長の2人がタッグを組んで展開している。
小原氏いわく「コロナ禍で経営が追い込まれたからサテライトオフィスを始めたわけではない」。もともと温泉地の従来型ビジネスモデルに強い危機感があった、と明かす。
「新しいビジネスを模索するなかで本田さんと知り合い、3年ほど前からサテライトオフィスの構想を共に練ってきました。新型コロナが全国で猛威を振るい始めた時期とローンチが重なったのは、偶然なんです。今年に入って『温泉ワーケーション』というパッケージを始動できたのも、すでにサテライトオフィスが稼働していたから、スムーズに準備を進められただけです」(小原氏)
日本の観光業界において、温泉は最強のコンテンツだと長らく評されてきた。しかし小原氏の心には、「そこにあぐらをかいて、“一泊二食”のパッケージを売り続けているだけでいいのだろうか」という不安感が、常にあったという。
「温泉旅館の一泊二食は、たしかにベストセラー商品です。旅行代理店さんも、まずは一泊二食でパッケージを組む。それで昭和のころから、ずっと売れ続けてしまった。最近でこそ“朝食のみ”や“素泊まり”のプランを提供する事業者が増えてきましたが、それでも一泊二食を基本にしている旅館は多い。ただ、一泊二食は法律で定められているわけでも、旅館が絶対的に守らなければならないルールでもないんです。
収益性を考えれば、夕食を付けて利益を出したくなるのもわかります。『ウチは食事にこだわりを持ち、それを顧客にアピールしていく』といった経営判断を否定する気もありません。ただ、旅館業に関係する人々の思考が停止してしまうことが、個人的にはとても不安でした。柔軟に変化していく姿勢を忘れてはいけないのではないかと」(小原氏)