最愛の妻を亡くす哀しみを2度にわたって経験した男性がいる。ジャーナリストの田原総一朗氏(86)は1983年に妻・末子さんをがんで亡くし、2004年に再婚相手である節子さんもがんで亡くした。節子さんが旅立った時、田原氏は70歳だった。
「僕は5年以上も自宅で看病していたけど、最期の瞬間は北朝鮮に取材に出ていて看取れませんでした。帰国して遺体と対面した時、哀しみというより底なしの喪失感に襲われ、自分の体の一部をもぎ取られたような感覚があり、“これからどうやって生きていこう”という不安で胸が一杯になりました」
妻を失った失意のあまり、抜け殻のようになった田原氏を救ったのは、3人の娘だった。
「ひとり身になっても元気でいられるのは、近くにいてサポートしてくれる娘たちのおかげです。“老いては子に従え”という格言もあるが、娘のいうことを素直に聞くようになりました。いつも怒られてばかりだが、それもありがたいことです」
娘は精神面だけでなく、生活面でも父を支えた。
「僕は生活のすべてを女房に任せていたから、死んでから何をどうすればいいかわからなかった。でも幸いにして近所に住む娘のひとりが預金通帳や仕事のスケジュールを管理してくれて、月に数回、引き出しにお小遣いを入れてくれます。娘がいなければ僕は生活できていません」
田原氏のように信頼できる子供たちが資産を管理できればいいが、そうはいかないケースも多い。都内の元教員(64)の父親は80歳の時に2歳下の妻が急逝した。
「残された親父は家のことが何一つわからず、通帳やキャッシュカード、印鑑がどこにあるか知らなかった。手元の現金はお袋の財布に数千円とキャッシュカードが1枚あるだけで、家の財産がいくらかどころか、生命保険に入っているかどうかもわからない状態でした。一家総出で家探しをし、土地の権利書や保険証書はなんとか見つかりましたが、現金や預金類が家に残っているかは、結局わからずじまいでした」