コロナ禍のあおりで経営が破綻した旅館、風前の灯火になっている旅館は全国に数多く存在する。100室を超えるような大箱の旅館が潰れる事態も起きた。「Go Toキャンペーン」も一時しのぎにはなるかもしれないが、一度遠退いてしまった客足は簡単には戻らない。
「コロナ禍のあとに残るのは、荒んでいくばかりの観光地」だと指摘し、温泉宿のイノベーションに取り組んでいるのが、佐賀県嬉野市にある老舗旅館「和多屋別荘」の現当主・小原嘉元氏だ。コロナ禍の衝撃、そして改革への決意と今後の思いについて、話を聞いた。
2020年、70年間一度も閉めたことのなかった玄関を閉めた
嬉野温泉は、8世紀に著されたとされる『肥前国風土記』にも記述がある、長い歴史を持つ温泉地。長崎街道の宿場町として栄え、江戸時代には「上使屋(お茶屋)」と呼ばれる大名や奉行、幕府の役人、他藩の上級武士をもてなすための温泉付き接待所が置かれていた。
和多屋別荘は、その上使屋を源流に持つとも伝えられており、薩摩藩島津家の御用宿にもなっていたという。これまでに昭和天皇をはじめ、皇族が宿泊したこともある、由緒正しい温泉旅館だ。
そんな歴史ある温泉旅館がかつて経営危機に陥った時、小原氏は三代目当主として跡を継ぎ、30か月で3億5000万円もの未払い金を完済した経験を持つ。以来、辣腕を振るってきた小原氏だが、コロナ禍に直面し、「さすがに価値観が大きく揺らいだ」と語る。
「2020年の緊急事態宣言を受けて、当館も同年4月27日から5月31日まで営業を自粛しました。実は、和多屋別荘は祖父の代から70年間、1日も休館日がなかったんです。だから、一度も正面玄関を閉めたことがなかった。そもそも閉める前提がないから、玄関にカギが付いていないんですよ。昨年の営業自粛時は、自動ドアにつっかえ棒をかけて開かないようにしたくらいで。
祖父は昔気質で、豪胆だけど少し繊細な部分も持ち合わせた人物でした。玄関を閉めないのは『敷地からお客様が全員出ていってしまったら、もう二度とお客様が来ないのではないか』という思いからの験担ぎ。それが現在まで、伝統として残っていた。誰に対しても、常に門戸を開いている温泉宿。それが和多屋別荘という旅館の矜持でもあったんです」(小原氏)
旅館を閉めたことについては「祖父に申し訳ない」と心が痛んだものの、自分の意思で決断したのでまだ納得できた。しかし「いつ再開できるのか」についてはまったく見えない状況だった。
「不安でしたね。そして、衝撃的でもあった。『70年の歴史を持つ、一度も休館したことのない旅館でも、こんなに容易く閉じてしまえるのか』『終わらせてしまおうと思えば、簡単に終えられるんだな』『本当に再開できるのだろうか』といった思いがない交ぜになっていました。
『老舗』『祖父の代から積み重ねてきた伝統』『信頼できる120人の従業員』『30カ月で未払い金を完済』といった、これまで自分を、和多屋別荘を支えてくれていた事柄が一瞬で吹き飛んでしまったような感覚をおぼえたんです。
だから無事に営業を再開できたとき、『たったひとつのウイルスのせいで従業員の人生、自分の人生が消え去ってしまうような脆弱な経営は絶対にしない』と固く心に誓いました。絶対に生き残ってやる、と。そのためにも、臆することなく変化し続けよう、さらにイノベーションを起こしていこうと決めたんです」(小原氏)