4月19日は「地図の日」人類がつくってきた「地図」のロマンと歴史
床に原寸大で複製された「伊能中図」(東京国立博物館:所蔵、株式会社 武揚堂:制作協力)の上で、副館長・新井啓太氏の説明に熱心にメモを取る平岡氏
江戸時代に水戸藩にうまれた長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」。庶民から絶大な人気を博した日本地図で、赤水の存命中に15回以上の改訂がなされた。没後も増版が続き、明治初期まで約1世紀のあいだロングセラーを誇った。幕府の「秘図」だった伊能忠敬の地図ではなく、この「赤水図」こそが、庶民にとって「日本全土」の共通像だった。赤水は農民の出身だったが、地図制作や学問の功績により武士待遇を与えられた
ゼンリンミュージアムには120点ほどの地図関係の展示品がある。企業色は薄く、地図の本質にスポットをあてた展示になっている。まさに地図の博物館だ
『世界島嶼誌』(1528年)に載っている日本図で、日本が単独で描かれたものとしては西洋初。ヨーロッパ人が初来日した1543年より前につくられており、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にもとづき想像で描いたとされる。ジパングは「Ciampagu」と記されている。イタリアのヴェネツィアで刊行された
18世紀のスウィフトの小説『ガリヴァー旅行記』に掲載された日本近海の想像図。日本の東方には空飛ぶ島「ラピュタ」など架空の島々が描かれ、列島北方の海域については「Unknown(よくわからない)」と正直に記されている。作中でガリヴァーが訪れる唯一の実在の国が日本だった
1595年頃、オランダ人のリンスホーテンによる『東方案内記』に収録された「東アジア図」の一部。日本は東日本が省かれたドラード型をしている。主要港、布教拠点、銀山などが記されている。この本はヨーロッパ各地で出版され、西洋諸国の東アジア進出に寄与することになった
ポルトガルの地図制作者・モレイラが2年の滞在中に西日本を測量し、あとはキリシタン大名などから提供してもらった情報で制作。世界初の実態に近い日本図といえる。展示されているのはモレイラ図を基にした銅版画で、イエズス会の刊行物に差し込むための試し刷りとみられる。世界でこの1点しか見つかっていない。1617年、イタリアで刊行
ゼンリンが手掛けた東京湾岸エリアの俯瞰図。同社が整備した住宅地図データと、建造物の画像データを組み合わせた独自の表現手法でつくられた。陸海空を一望できる本図は、AIによる自動運転や、ドローンによる自動配達時代の到来をも想像させ、細部まで美しく、見ていて飽きない