放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、有吉弘行と夏目三久の結婚というめでたいニュースについて綴る。
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「有吉と夏目」という文字が大きくドーンと一面に載った途端、テレビのワイドショーでは女性タレント達がいきなり「有吉さんて本当は優しい人なんです」やら「ウラでは我々に凄い気を遣ってくれるんです」なんて、急にいい人になりやがった。どの面下げていい人なんだよ。俺も長いこと談志やたけしという東京のヒールと仕事もプライベートもつきあって来て、次は爆問太田と有吉だと楽しみにしてたのに、こんなお幸せニュースで芸もキャリアも大崩壊だ。
ここ数年「散歩が趣味で」なんて言ってたけど、どうせこのコロナ禍、キャップかぶってマスクつけて歩いて彼女の家へ行きゃ一切バレないものな。どうだこのスケベー。10年前にニュースになった時から怪しいなと踏んでたんだよ。芸能界50年超、この大きな目はゴマ化せないよ。俺も毎週見ている『有吉の壁』だが、それより「夏目の壁」が相当厳しかったろうなと推測する。ヒッチハイクの時より厳しく険しい道程だったと思う。
そもそも1989年に『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』が始まり、アシスタントとして松村邦洋や松本明子が喋っていた。それを面白がった日テレのディレクター連中が「二人を貸して下さい、3か月だけ」。
おバカが二人で助けあって進める番組が面白がられ『進め!電波少年』は大ブレーク。少々弱ってきた処へ猿岩石を投入し、ヒッチハイク企画が大ヒット。帰ってきてCD『白い雲のように』を出せば113万枚(つくづく後悔。俺が作詞しときゃ、今頃孫にミルクも買ってあげられたのに)、たしか本『猿岩石日記』も250万部くらい売れたんでしょ(ああ俺がゴーストやっとけば孫におむつを)。
人生なんて、そうそういい事ばかりじゃない。ブームはすぐに終わり、数年してまったく仕事はゼロ。テッペンからドン底へまっさかさまに落ちてデザイアー。