松坂慶子(68才)の母・つね子さんがこの春、亡くなっていたことがわかった。松坂とつね子さんは、松坂の結婚をきっかけに一時、絶縁状態になっていた。骨肉の争いから30年。松坂と夫におとずれた同居介護9年目の別れ──。
西に沈む太陽が澄んだ空を赤く照らした4月中旬の週末の午後6時過ぎ。東京都世田谷区の閑静な高級住宅地に、仲よく出かけようとする家族の姿があった。
夫と2人の娘たちに一足遅れて玄関を出てきたのは、黒いジョギングシューズを履き、ベージュのパンツに紺色のロングコートを着込んだ松坂慶子。きっちりとまとめた髪には白髪が交じり、縁なし眼鏡をかけた顔も体も、ずいぶんやせた印象だ。それでも近くの商店街に向かって夫と娘の後を歩く姿からは、家族水いらずの穏やかな雰囲気が漂ってくる。
家は100坪あまりの土地に建つ3階建ての豪邸。光沢のある焦茶色の壁と門扉、そして玄関扉の間の通路に設けられた車椅子用のエレベーターがひときわ目立つ。
「あのエレベーターはお母さま用のもので、車椅子でもスムーズに乗れるように3年ほど前につけられました。そのとき、お風呂なんかも一気に介護用にリフォームしたみたい。とにかくあの夫婦は、最期までお母さまのことを考えて、献身的に面倒を見ていました。もう、エレベーターに乗る人はいなくなっちゃったけどね……」(近隣の住民)
松坂は両親と一時絶縁状態にあったが、母・つね子さんの介護のために、2012年6月、家族全員で母が住む実家に戻ってきた。2018年にNHK大阪が制作した朝ドラ『まんぷく』に出演したときのことを、雑誌『クロワッサン』(2019年8月25日号)のインタビューでこう振り返っている。
《(大阪での仕事を)母に伝えると、『行っていらっしゃい』って、笑顔で背中を押してくれたんです。それで出演する決心がついた》
《母の生命力、がんばり方とか太陽みたいに笑うところとか、全部役作りに反映されて、困ったときに相談すると的を射たことを言ってくれるし、母を頼りにやってきた過去を思い出しながら演じていましたね》
そんな最愛の母・つね子さんが静かに旅立ったのは、介護を始めてから9年目を迎えたこの春のことだった。
「2年くらい前からはずっと寝たきり状態で、最期は自宅でご家族に看取られたようです。松坂さんは“母は100才目前まで生きることができ、大往生でした”と話していたそうですよ」(別の近隣住民)