中国内モンゴル自治区の農村部で、29年前の1992年に殺人を犯した当時18歳の少年が地元政府の幹部らの不法な政治工作で釈放され、懲役15年の刑期を務めることなく、地元の村長にまでなっていたことが明らかになった。この人物は2017年に汚職で逮捕され、29年前の不法な政治工作も判明し、この工作には当時の地元政府の中国共産党委員会副書記ら党政府幹部ら数十人が関与するなど、組織ぐるみの犯行であることも暴かれたという。
ネット上では「あまりにも衝撃的だ。地方では法の正義よりも、個人的な縁故の方が重要視されていることを示す悪例だ。中国では共産党統治の政治システムの方が法よりも上位にある。これでは殺された者も浮かばれない」などとの声が出ている。香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じた。
この事件は1992年、内モンゴル自治区の東端に位置するチェンバールフ旗(日本の市や郡に相当)で、当時18歳のモンゴル族青年、バトゥ・マンゲが、同じく18歳で友人の柏永春さんと言い争いになり、ナイフで刺し殺したというもの。
バトゥは裁判で懲役15年の有罪判決を受けたが、わずか3か月間服役しただけで、病気治療の名目で釈放され、その後は残された刑期を務めることはなかった。これは、地元政府の保健機関幹部だったバトゥの母親と、地元政府のナンバー2だった伯父が共謀して、関係機関の幹部に根回ししたものだ。母親は知り合いの病院の院長に偽の診断書を書いてもらい、伯父は司法機関幹部に働きかけて、バトゥの病気を理由に仮出所させた。その後、バトゥは近くの村で人目を避けて生活。懲役15年の刑期満了の2007年、地元の刑務所長がバトゥに釈放証明書を手渡し、法的にも釈放となった。
バトゥは2010年に共産党員となり、2012年には地方の人民代表大会(議会)代表に選出。2015年には地元の村長選挙で当選した。
ところが、バトゥは2017年、汚職の容疑で逮捕され、裁判で3年の懲役刑を受けた。