SNSでの発信や動画配信などもあり、近年のアイドルはファンとの距離が近くなったが、昭和のアイドルは文字通り“高嶺の花”だった。それまでのアイドル像を壊し、「王道」への挑戦を続けた南野陽子が、80年代中期「アイドル四天王」の時代を振り返る。
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今考えれば私は80年代のいわゆる“王道”のアイドルとは違ったように思います。私がデビューした80年代半ばは、アイドルはオーディションでグランプリを取り、聖子ちゃんカットにミニスカートで、フレーズが何回もリフレインするキャッチーな歌詞の歌を歌っているというものでした。でも私はオーディションを受けたわけでもなく、聖子ちゃんカットでもなく、洋服もロングスカート。それまでのアイドル像とは真逆でした。
でもそれが、王道アイドルになりたくてやってくる女の子と違い、新鮮だと感じてくれた当時30代の若手のクリエイターたちの考えにうまく合致し、受け入れてもらえたのだと思っています。これから来る好景気に向かって、時代が大きく変わるタイミングだったのも良かったのかもしれません。私の個性や考え方を尊重してくれたスタッフが素晴らしかったです。“実験的”だったかもしれませんが……(笑い)。
そうして最初に撮影してもらった『DELUXEマガジン』(講談社)さんをきっかけに、ソニーさんやフジテレビさん、東映さんと次々手を挙げていただき、CMのお仕事なども動き出していきました。
そこからの2~3年はとにかく忙しかったですね。例えば『スケバン刑事』を撮影していた頃は、朝6時に撮影所に集合してからロケ地に移動し8時に撮影開始。夜は都内に戻ってスタジオ撮影、その合間に雑誌の取材や表紙撮影、歌番組。それが終わって、夜の11時くらいからレコーディングやラジオ。終わりは深夜2時くらいでした。家に帰れず撮影所で寝泊まりしていたので、楽屋にベッドを用意してもらったほどです。
目の回るような日々でしたが、スタッフの方々と皆で矜持を持って仕事をしていました。多忙さに流されることなく、しっかり時間を刻み、時代を作っている感覚があったのは、貴重な経験だったと思います。
【プロフィール】
南野陽子(みなみの・ようこ)/1985年、18歳の誕生日にシングル『恥ずかしすぎて』で歌手デビュー。中山美穂、工藤静香、浅香唯とともに「アイドル四天王」と呼ばれる。ドラマや舞台など多数の作品に出演。
撮影/野村誠一
※週刊ポスト2021年5月7・14日号