映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、テレビドラマ『俺たちの旅』で主演グループの一人「オメダ」を演じた思い出について語った言葉を紹介する。
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田中健は一九七五年にテレビドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ)で中村雅俊、秋野太作とともに主演グループの一人を演じ、人気を博す。
「実は『俺たちの旅』の途中くらいまでは俳優をやめたかったんです。現場は楽しいのですが、キャメラの前に立つのがつらくて。あまりに演技ができない。どうやっていいかも分からない。
ずっと『本番が唯一の練習』みたいにやってきたもので、役作りの仕方も、役の捉え方も、セリフの背景の考え方も、なにも分からないんです。だからスタッフになりたかった。現場でみんなで物を作ること自体は楽しかったので。
でも、人気が凄く出てきたんです。『俺たちの旅』のロケ現場には千人くらいギャラリーが来ていましたから。そうなってくると、やはり考えるんです。やっていけるんじゃないかと。
それでも相変わらずキャメラの前に立つのは嫌なわけです。芝居が怖いというのは、それからもずっとありました。
『俺たちの旅』は二十四歳から二十五歳までやりました。二十五になった時に、ある先輩から『三十までに自分の意思で決めないと、遅いぞ』と言われまして。他に選ぶ道もなかったので、『よし、役者で行こう』と決めました。自分で決めたらしょうがない、ということで、そこからは迷わなくなりましたね」
自信なさげな当時の田中の様子は、『俺たちの旅』で演じた「オメダ」のキャラクターが重なってくるようでもある。
「まさしくそうでした。ですから、今みるとそれなりにいい芝居をしてるんです。全然芝居をしていないから。
現場では秋野さんが芝居を動かしていました。凄く様子を見ながらやる人なんです。
たとえば、本番で僕がぼうっと芝居していると、アドリブでいきなりバーンと殴ってくる。今なら『先輩、何するんですか!』とか対応できるかもしれないですが、当時は何もできなくて止まってしまう。
でも、それがオメダなんです。そこで止まるのがオメダ。芝居じゃなくて、自分そのままをやっていたんです。
あそこでちゃんと返していたら、あのオメダの純粋さは出なかったかもしれません。そこまで秋野さんが理解してやっていたのかは分かりませんが──」