インターネット掲示板への相談の書き込みから映画やドラマになったラブストーリー『電車男』が生まれたのが2004年、その2000年代は様々なネットアイドル的な存在が現れては消えた時代でもあった。俳人で著作家の日野百草氏が、かつて秋篠宮眞子さまをネット民とともに「マコリンペン」と呼んだ男性の心象風景についてレポートする。
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「マコリンペン、大好きだったのに。時の流れって残酷だよね」
由井信次さん(50代・仮名)はそう言って筆者にスマホの画面を見せる。どれも15年くらい前に信次さんが描いたイラストだ。今となっては古色蒼然のアニメやゲームのキャラクターが並ぶその中に、セーラー服姿の凛とした”マコリンペン”がいる。
「いま“マコリンペン”なんて言っても若い人には通じないけど、当時のネットじゃアイドルだったもんね、萌え、いや崇拝の対象かな」
信次さんと筆者は長い付き合いだ。彼はごく短い期間だがイラストレーターをしていた。イラストレーターといってもオタク系専門誌のカット程度、大きな仕事とは無縁のまま現在は別の仕事をしている。商業誌のプロとしては短命だったが2000年代のネット界隈、匿名の画像掲示板ではそれなりに人気のイラストを上げていた。そんな彼を四谷三丁目店のファミレスに呼び出したのはその“マコリンペン”のことを聞きたかったからだ。彼の話すムーブメントは、確かに“いにしえのネット空間”に存在した。それを再確認したかった。
「誰かは知らないけど、マコリンペンって名づけた人は神だよね、誰がつけたかわからないってのもいい」
“マコリンペン”とは、眞子内親王、秋篠宮眞子さまのことである。もちろん信次さんが名づけたわけではない。名無しの誰かが名づけたものが広がり、そして定着した。いわゆるインターネット・ミーム(ネットミームとも)である。誰がつけたかわからないからこそ、その言葉は共有物として育つ。古歌の「詠み人知らず」は現代のネット空間にも生きている。
「ほんと人気あった。皇室のネットアイドルって彼女が最初でしょ、まさに“俺たちの眞子さま”だった」
まだ緊急事態宣言前、昼間から100円ワインを飲みながらの思い出話。そう、確かに眞子さまは「俺たちの眞子さま」――“マコリンペン”として、2000年代ネット民のアイドルだった。匿名掲示板や画像掲示板には彼女をいわゆる「萌え」化したイラストが投稿され、その姿はいつしか現実のご本人を離れ、平成の御国に降臨した姫君として崇められた。古くは“サーヤ”こと清子内親王もオタクのアイドルだったが前世紀の話、ネットミームとしての最初の皇室アイドルは眞子さまである(その後、ご成長された佳子さまも加わる)。