この春、大学野球の聖地・神宮球場が、1人のスーパールーキーの出現に湧いている。東都大学リーグの名門・青山学院大の1年生、佐々木泰内野手だ。高校通算41本塁打。大学でも入学早々ホームランを量産するスラッガーは、なぜプロではなく大学という進路を選んだのか──。大学野球を長く取材してきたスポーツライターの矢崎良一氏が、本人への直撃インタビューや周辺取材をもとに、スター候補生の実像に迫った。
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ササキタイ──その歯切れの良い響きを持つ名前は、“泰然自若”や“天下泰平”といった言葉から、「スケールの大きな人物になってほしい」という両親の願いを込めて付けられたという。その名前に違わぬ堂々たるデビューだった。
東都大学野球春季リーグ戦。4月5日の立正大戦に「5番・サード」で公式戦初先発、初出場を果たすと、2-2の同点で迎えた8回裏の第4打席、左中間スタンドに高い放物線を描く豪快なアーチを掛けた。
記念すべき大学1号ホームランでチームを勝利に導くと、続く2戦目の第1打席で、2試合連続となる一発を、今度はライナーでレフトスタンドに叩き込んだ。すかさず、ネット裏に陣取るプロのスカウト陣から「ほぉ~」と驚きの声が上がる。
次節の中大戦では、3戦連発こそ阻まれたが二塁打を含む2安打。そして「3番・サード」に昇格した翌週の国学院大戦で、またしても2試合連続ホームラン。
第4節を終えた4月21日の時点で、6試合4本塁打と驚異的なハイペースでホームランを量産している。1年春のシーズン4本塁打は、東洋大の今岡誠(現・千葉ロッテヘッドコーチ)が1993年に記録して以来で、残り試合でさらに数字を伸ばす可能性もある。
嫌でも意識させられる先輩・井口の大記録
東都大学リーグの通算ホームラン記録といえば、佐々木の先輩にあたる青学大の井口資仁(現・千葉ロッテ監督)が1996年に24本の最多記録を打ち立て、その後、日大の村田修一(現・巨人野手総合コーチ)や、亜大の松田宣浩(ソフトバンク)ら、プロでも名を成すスラッガーたちがこれに迫るも届かずに4年間を終えた。その井口でさも、1年生の春にはわずか1本塁打だった。
佐々木は高校時代にも3年間で通算41本塁打の記録を残してきただけに、大学入学後、取材に来た記者などからよく井口の記録のことを聞かされた。そのたびに「塗り替えることを目標にしてやっていきたい」と漠然と口にしていたが、今後は1本打つたびに嫌でも意識させられる名前と数字になるはずだ。
高校からプロや大学、社会人に進んだ時、ほとんどの打者が苦労するのが木製バットへの対応だ。高校まで使ってきた金属バットとは違い、ボールをしっかり捉えなければ打球も飛ばない。佐々木は「今もまだ違和感があります」と正直に漏らす。その中での4本のホームラン。
「バットに慣れるというよりも、最初は球威に負けて差し込まれていたものが、少しずつ力で押し返せるようになってきた感じです。でも、まだ力一杯振って打球を飛ばしている感覚はないですね」
バッティングは力だけではないと言われるが、木製バットを克服し、“マン振り”出来るようになった時には、どんな打球を飛ばすことだろう。
そんな鮮烈なデビューを果たしたスラッガー佐々木泰とは何者なのか? その経歴と素顔を追ってみた。