新年度の開始早々に3度目となる緊急事態宣言(東京、大阪、京都、兵庫)が発令されたうえ、政府や自治体、メディアからは「若い世代が〜」と一括りにされて出歩くことさえ批判される始末。テレビでもおなじみの講談師・神田伯山氏(37)が、窮屈な新生活を送る若者たちにエールを送る。(取材・構成/池田道大)
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大人が考える若者像と、若者が本当に思っていることってズレているんですよね。ワイドショーとかで「今の若者はこうだ」って統計データを出して色々な中高年がなにやら言いますけど、私は若い頃「こいつらズレているな」と常々感じていました。ですから今、自分も37歳ですから、若者にしてみたら、だいぶ焼きが回っていると思います(笑)。
その上で言うと、大人はいろいろな思惑や仕事上の都合などから異常に色々な事を煽ってきますけど、若者は意外と「このひとたちは、仕事で煽っているんだ」と気づいているんじゃないですかね。これはあらゆる現象に対してです。一部の若者は極端に素直だったりしますから、一括りにはできませんが、多くの若者は実は、色々な事に冷めているんじゃないかと勝手に思っています。全然違っていたら申し訳ないですが(笑)。
若い人たちになんとなく、ぼんやり伝えたいのは、「幸せの基準を自分で決めた方がいい」ということです。これは私が敬愛する落語家の立川談志師匠の言葉です。「個性が大事」だとか、「結婚がどうの」とか、「仕事がどうの」とか色々と人生まわりは煽ってきます。煽られまくりです。本当になんでもいいんですが、揺るがない軸があるといいですね。私はこうしたいんだと。
また談志師匠はこうも言っていました。「目の前にある牛乳が腐っているかどうか判断するのが、人生だろう」と。若い頃聞いたときに、「それは賞味期限で分かりたいですが」と思いましたが、本当に今になるとその通り。人生はあらゆることが選択です。この牛乳に限らず、これは腐っているのか、大丈夫か、この道でいいのか。すべて選択は自分であって、その延長線上にしか、自分はいないんですね。
私は講談師になりたいと決意したときに、誰一人賛成する人は周りにいなかったです。親戚の空気的にも「よく分からないし、見込みもないだろうから、ほどなくして帰ってくるだろう」みたいな反応だった気がします。これが落語家でしたら、なんとなくイメージがつくので反対もしようがあったのでしょうが、講談は当時、ごく一部しか知らない、将来性がなさそう、落語の方がいいんじゃん、の三重苦で、反対のしようにも、よくわからないという感じだったことを覚えています。今考えると、この子に好きな事をさせてあげたいという親心もありましたね。