1950年代半ばには2人の「不仲」が文壇で噂されたが、真相は違うという。
「乱歩さんはいつも、“横溝くんは出歩かないから寂しいだろう”と、我が家に20人ほど人を集めてにぎやかな宴会を開いてくださっていました。2人が疎遠になっていたのは喧嘩したわけではなく、乱歩さんが当時体調を崩されて外出ができず、それが原因で会えなかった時期があったからでしょう。手紙を書くのもままならなかったため、ご長男夫人が代筆された便りが父の元に度々届いていました」(野本氏)
1965年7月、乱歩は自宅で倒れ、70年の生涯を閉じた。駆け付けた横溝は枕元で泣き崩れた。1200人が参列した葬儀で横溝は友人代表として弔辞を読んだ。野本氏が語る。
「父は片肺がないため、誰よりも先に死ぬと思っていた。その時は乱歩さんに弔辞を頼んでいたのに、逆になってしまったと寂しがっていました」
互いを高め合った2人の作品は、令和の世でも読み継がれている。
※週刊ポスト2021年5月7・14日号