作家・城山三郎が通産省(現・経産省)を舞台に描いた『官僚たちの夏』の主人公・風越信吾には、事務次官の座を争った玉木というライバル官僚がいた。風越のモデルが“ミスター通産省”と呼ばれた佐橋滋なのはつとに知られているが、玉木のモデルは佐橋の同期で、彼に先んじて通産次官となった今井善衛──安倍晋三・前首相の“懐刀”と呼ばれた今井尚哉・前首相秘書官の伯父である。
佐橋が自らの著書に名付けた通りの『異色官僚』だったのに対し、今井はザ・官僚タイプ。佐橋は政治家たちが資本・貿易の自由化に前のめりになる中、時期尚早だとして抵抗する。それに対して、政治家の意向に従い、自由化を進めるべきだと考えたのが今井だった。
佐橋を長年取材した評論家・佐高信氏が語る。
「1963年の夏、当時の松尾金蔵・事務次官は、後継に佐橋を指名する約束をしていたが、政治家に楯突く佐橋を嫌った福田一・大臣は外局の特許庁長官だった今井を次官にすると発表しました。驚いた松尾次官は大臣に掛け合い、断わられると今度は今井を呼んで身を引くよう要請しましたが、今井は突っぱねた」
その際、今井はこう言ったという。
〈佐橋は個人としてはとても魅力があり、人を引っ張っていく能力のある男だと思います。しかし、どうも、自分を慕ってくる人間だけをかわいがる傾向があり、一つの派閥をつくっている。それでその派閥に入っていなければ登用されないというのは通産省を毒するものです。私は次官になりたいため、こう言っているのではありません。省内を明朗化しようと多くの人が思い、その人たちから担がれているので、こう言っているのです〉(佐高信著『「官僚たちの夏」の佐橋滋』より)
この発言に、2人の違いがよく表われていると佐高氏は言う。
「佐橋は外交的で親分肌、今井はどちらかというと内向的で政治家に尽くす。今井の後に佐橋は次官になりますが、やがて政治家に物言う佐橋のようなタイプは絶滅危惧種となってしまった」