度重なる引退勧告にもかかわらず土俵にしがみつく横綱がいる。地位や権威に恋々とする人の何と多いことか。一方で角界では、小兵ながら初代若乃花とともに“栃若時代”を築いた横綱・栃錦の引き際が語り継がれている。
1960年3月場所の千秋楽は若乃花との全勝対決で敗北。そして翌5月場所で初日から2連敗すると、すぐに引退を表明したのである。当時35歳。
「その年の初場所では14勝1敗で優勝を果たしていた。今では想像もできないような絶頂期にある横綱の潔い引退でした」
元NHKアナウンサーで33年間にわたって大相撲中継を担当した杉山邦博氏は、かつて栃錦自身の口から、その背景を聞いている。
「栃錦は、横綱に昇進した時(1954年9月場所後)に師匠の春日野親方(元横綱・栃木山)に言われた言葉が、ずっと自身を支えてきたと繰り返し言っていた。昇進祝いの後、大勢の祝い客が帰ってくつろいでいると、弟弟子に『師匠が呼んでいる』と言われて部屋に行った。師匠は部屋の真ん中に背中を向けて座っていて、振り向きもせずに『今日からは辞めることを考えて過ごせ、桜の花の散るごとく』と一言、他は何も言わなかったそうです。
褒められるものとばかり思っていた栃錦は、当初『なんて冷たい師匠だ』と思ったそうですが、後にこの言葉には、大相撲の伝統を担う横綱の責任、横綱の“あるべき姿”が凝縮されていることに気付く。そのことを毎日感じながら過ごしたと言っていました」
まさに「桜の花の散るごとく」引退した栃錦。引退後は春日野親方を襲名し、横綱・栃ノ海や大関・栃光を育て、1974年には相撲協会理事長に就任した。
もし今、栃錦が理事長だったら、白鵬の進退問題をどう思うだろう。もちろん現役を長く続けることを美学とする考え方もある。その一方で横綱であることの“名誉”を重んじるのではないだろうか。
※週刊ポスト2021年5月28日号